ツインミュージック



 前奏から一小節半おくと、バイオリンが入ってくるツィゴイネルワイゼンは、難易度の高い曲だ。始まって十小節もいかないうちに、技術を披露するカデンツァが入ってくる。コンクールまでもう二ヶ月しかないというのに、そこだけはいつもリボーンに怒鳴られる。彼曰く、繊細さが足りないらしい。やはり今日も失敗して、リボーンから容赦なく注意を書き込まれている楽譜を見ながら、眉を顰めた。
 いろいろと悪戦苦闘している綱吉と反対、雲雀は余裕だ。しかし、驚きを隠せなかった。リボーンが余りに下手だ下手だと言うものだから、てっきりかなり下手なのだろうと思っていたが、綱吉はかなり巧い。勿論、リボーンには到底追いつかないが、ここ界隈、いやこの県内のコンクールだったら、優勝してもおかしくない位の腕前だ。
(赤ん坊、嘘ついたんじゃないか)
 しかも、綱吉は結構リズムを崩して弾く。彼の見た目は余りに覇気というか、まぁそういうものが感じられないものだから、教則本どおりのリズムで演奏するものだとばかり思っていたものだから、何回か合わない箇所が出てきた。その度に、綱吉の演奏は消極的になっていく。雲雀がやきもきしながら、一回目の合わせは終わった。
 ふーと溜息をついた綱吉に、雲雀は楽譜を見直しながら声を掛けた。
「君、揺らして弾くみたいだね」
「う、はい・・・・・。すみません、合わせ難かったですよね」
 リードするのはバイオリンの方だというのに、綱吉は肩を竦めた。雲雀が溜息をつくと、それに足して明らかにおどおどとする。
 どうやら、気が弱いらしい。
「最初、尋ねておかなかった僕も悪いしね。まぁ許してあげるよ」
「あ、一回俺だけで弾いておきますか?」
 楽譜を見ながらそう提案した綱吉に、雲雀は静かに頷いた。やはり、一回彼の演奏を聞いた方が、こちらもどこを長くするか、短くすればいいかなどが分かるからだ。ニコッと笑いながら綱吉は頷くと、構えの姿勢になった。その流れるような動作に、思わず雲雀は見惚れた。構えも、なかなか堂に入っている。
 すっ、と息を吸うと、最初の前奏分の休符は飛ばして弾き始めた。
 このツィゴイネルワイゼンという曲は、バイオリンの曲の中でもかなり有名だ。最初の一音目から一オクターブ低いソ、即ちG線(ゲー線)の何も押さえていない状態で始まる。ツィゴイネル、と親しまれる曲だが、その馴染みさからは想像もつかないほど、かなり高度な技術が必要となる。
 しかしながら、この曲はかなり格好良く、自分の持ち曲にしてしまうと、演奏にも幅が出てくる。高度な技術が必要、ということは、逆を言うと巧く弾きさえすれば、観客を大変楽しませることが可能な曲なのだ。
 もう何十回も何百回も練習したおかげで、何とかさまになっている、と綱吉は感じた。しかし、やはり和音を一回でとるのは未だに難しく、不協和音になって綱吉は眉を顰めた。焦らず丁寧に、を心がけているが、気分が乗ってくると、どうしても逸ってしまう。リボーンになんども指摘された点なのに出来なくて、自分の事ながら苛々してしまう。
 もともと、ツィゴイネル自体はそこまで長くなく、五分は超えるが、十分の枠に収めることが出来る為、かなりコンクール向きの曲だと言える。それに、綱吉が巧い事もあり、八分弱の曲は直ぐに終わってしまった。
 弓を弦から離し一息置いて、ふぅと綱吉が溜息をつくと、雲雀は口を開いた。
「いいんじゃない。なかなかいい演奏をする」
「いいいいいや!!そんな事ないですよ!!」
 雲雀にまさか褒められると思っていなくて、慌てて両手(左手はバイオリンを、右手は弓を握ったままだったが)を振った。しかし、その顔はどことなく嬉しそうだ。そんな綱吉の様子に、雲雀は眉を顰める。
「嬉しいんだったら、素直にありがとうございますって、言うもんだよ」
 雲雀に説教をされた綱吉は、身体を小さくして小さな声で、「・・・・はい」とだけ返事をした。
 雲雀は伴奏譜を捲った。細い指が楽譜上を滑る。彼はそこで指を止めると、右手に握った鉛筆を顎に当てた。その一連の動作を綱吉は見守る。何事か雲雀は楽譜に書き込んだ後、鉛筆をピアノの楽譜立に置いた。綱吉の方を向いて、ピアノを苛立たしげに叩く。彼の癖なのだが、気の弱い綱吉は即座に肩を竦めた。
「また合わせるから、早く準備して」
「え、もうですか!?」
 思わず異議を唱えた綱吉は、はっと口を噤んで視線を楽譜に落とした。雲雀は綱吉に目もくれず、続ける。
「僕は君が弾いてる間に、充分休憩を取った。ならいいじゃないか」
 俺の意向は無視かよ。
 口から零れ出そうになった言葉を、口を押さえて止める。仕方ないか、と溜息をついてバイオリンを構えると、雲雀が向こうで笑った気がした。
 一拍おいて、雲雀の指が鍵盤の上を滑りだす。雲雀の左手は、二オクターブ下のソと、一オクターブ下のソを、連音で叩く。勿論、簡単ではない。しかし、雲雀からはそのような様子は微塵も感じられない。それに、綱吉は感心していたが、慌てて我に返る。雲雀の演奏に感心している場合ではない。
(集中、集中・・・)
 ふーと僅かに溜息をつき、弦の上においた弓を滑らせた。




「うあー、疲れた・・・」
 バイオリンをケースに入れながら、綱吉は肩を回した。ガリゴリと音が鳴る。労わるように肩を摩りながら、雲雀に向き直った。彼は、向こうでピアノを拭いている。
「次は、いつします?」
 雲雀は綱吉の言葉を無視して、ピアノを拭き続けている。数十秒お互い無言が続き、「あれ聞こえてない?」と綱吉が不安になったところで、雲雀はピアノから顔を上げた。ピアノを拭いた柔らかい布は、丁寧にたたまれピアノの上に置いてある。綱吉は瞬きした。彼が几帳面な性格だとは思わなかったのだ。だが、意外な一面を見てしまうと、何故か乱雑に置くところなど考えられないから、不思議だ。
「そうだね、3日後でいいだろう」
 彼は、彼自身の中で自己完結して、一人で頷いた。
(俺の予定は、関係なしかよ)
 綱吉が辟易しながら肩を落とすと、雲雀は鼻を鳴らした。もたもたとバイオリンをケースに入れていると、雲雀が怒鳴る。
「早く出ていきなよ。疲れたんだから」
 俺だって疲れてますよ、と言う前に部屋から追い出された。しばしの間、練習室の扉を背に立っていたが、はぁと溜息をつくと、ケースをかけ直し、玄関に向かった。




     




雲雀さんとの出会いは終わり。
やっぱり雲雀さんは俺様(僕様?)じゃなきゃ!!
07 06 11 くしの実