愛しき君よ




 彼は優しい、と日本はよく思う。
 確かに素直ではないかもしれないが、一つ一つの仕草や日本に対する行動は、とても優しいものだ。本人は意図していないだろうが、多分それが本心からの行動なのだろう。
(優しい、というよりは、紳士的ですかね)
 静かに緑茶を啜りながら、そう紳士的、と頭の中で繰り返す。もともと、イギリスは紳士の国だ。優しいではなく紳士的が正しいだろう。見目も良いイギリスには、その言葉も言葉の示す態度もよく似合う。自分がやったところで、似合いもしないだろうな、と思うと、憤りよりも嬉しさの念に駆られた。素晴らしく出来たイギリスと、知り合いでもあり、また甘やかな関係である事は誇れる事だ。
 窓の外に目をやると、竿に掛けた洗濯物が、はためいているのが見えた。その後ろでざわめく木々は、最近秋を迎えたばかりで、夏とは一変した様子になっている。緑より黄が強くなって、今にも落ちそうに風に吹かれては揺れている。この光景をイギリスが褒めてくれた。ちょうど、一年程前である。
「日本の風景は和やかだ」
 その時も、この縁側に座っていたように思う。今では滅多に見られないが、日本の家は古き平屋の家屋であり、そのフォルムをイギリスは気に入ったようで、縁側に好んで座った。
 僅かに上方に見える顔を見上げ、日本は瞬きをした。イギリスの金髪が日に煌き、少し眩しい。思わずふっ、と目を細める。日本のその様子に気付くこともなく、イギリスは日本が淹れた緑茶を啜った。飲み方が、未だたどたどしい。
「日本の風景は独特だよ。いつも来て感じるけど」
「褒めて下さってるんですよね」
 そっそんなわけないだろ欧米より劣ってるって言いたかっただけだ。日本はそう言うのではないかと思ったが、意外なもので、返ってきた返事は、あぁ、の一言だった。嬉しいがこそばゆい。日本は少し頬を染め、体を揺らした。
「やっぱり、こんな手放しに褒められると恥ずかしいか」
 意地悪く笑いながら、イギリスは顔を覗き込んでくる。やめて下さい、と言いつつ顔を背けると、くすりと笑う音がした。尚顔が熱くなる。日本は冷えた手を頬に当てた。冷たくて、心地良い。
 しかし、いくらからかわれようと日本の慕情に変わりはなく、二人で並んで座るのは日本にとっての幸せの象徴である。日本は、両者間に漂う穏やかな雰囲気を好ましく思い、ずっと続けばいいとも思った。それほどに二人でいられる時間は貴重で、幸福なものだった。
 二人は無言で外を眺め続ける。四季様々な表情を見せる日本の庭は、緑から紅葉へと移ろうとしている。
「なぁ日本」
「何でしょう」
 二人は飽くまで密やかに会話をした。二人の声が、風に吹かれる木々の音に紛れてしまう程の、小さな物。しかし、二人にはそれで十分だった。肩と肩が触れる程の距離で、どうして大声が必要なものだろう。また密やかに交わした方が、色々な雰囲気も出るというものだ。それならば小さく小さく、声を交わす。
「日本は俺のこと、好きか、」
 静かに茶を啜っていた日本の心臓が、瞬間跳ね上がった。好きか、と問われれば、勿論答えはイエス、はいに違いない。しかし、その言葉の意味するところは、イギリスが思っているところとは確実に違うのだ。ライク、ではなくラブ、友愛ではない。だからと言ってそれを言う程、日本は愚かでも愚鈍でもなく、柔らかく微笑みを浮かべた。
「勿論です。貴方の国で言うならば、イエス」
「ふーん・・・・」
 イギリスは日本に目を向けず、風景に目をやるばかりで、何か粗相でもしただろうかと不安になる。日本はしかしそのような様は一切見せず、僅かに首を捻った。
「いかが、しました」
 唐突な質問へか、それともイギリスの態度へか。とにかく日本は訊ねた。イギリスの明るい緑の目が日本を捉え、日本は嬉しくなった。それと同時に、頬へと熱が集まる気もする。今度は、日本が庭へと目を飛ばす番だった。
「どうもしないが、・・・・うん、ちょっとした興味だよ」
「興味、ですか」
「ああ」
 イギリスが浅く頷く。金髪で反射された光が、日本の視界の端でちらちらと動いた。
「お前に嫌われたら、なんてふと思ってだな。己の優位性を確認するために、」
「優位性、」
 日本が怪訝に思い反芻すると、慌てた様子で何でもない、と否定した。そんなに慌てておいて、何も無いはないでしょう、と思いつつ、そこは追求しない。それが日本の美徳だからだ。そして、イギリスと日本の為でもある。イギリスが隠したい事を、態々暴こうとも思わなかった。
 それから、会話の内容が突然変わり、一連の会話は思想の外へと追い出された。日英間の友好関係や経済の話になり、イギリスの真意を探る事が出来ぬまま、日本は会話に乗せられる。だが、まぁそれでもいいか、と思った。イギリスが、日本を気に掛けている事には変わらない。イギリスの落ち着いた声色を愛おしく思いながら、日本はそのまま会話に乗せられる事にした。
 そうやって一時間程経ち、話にも熱が入り始めた頃、ふと猫が庭に紛れ込んできた。三毛猫が、なぁ、と小さく鳴くと、二人の会話は止まり、視線が自然とそちらに向く。先に立ち上がったのは日本だった。縁側の下に置いていた草履を取り出し、それを履いて猫の元へと行く。猫は人間に慣れているのか、日本が近づいても、なぁ、と鳴くばかりだ。
「この猫、どなたか飼ってらっしゃるんでしょうか。人間慣れしていますよね」
 猫の喉をくすぐり、それが気持ち良いのか目を細める猫を見ていると、自然に笑みが浮かんできた。喉をくすぐる右手に加え、左手で背を撫でる。
「可愛らしいな、」
 イギリスにそう話しかけられ、えぇ、と日本は返した。イギリスがいや、と呟く。日本の耳はそれを拾い、顔を上げた。右手は依然として、猫の喉をくすぐり続けている。
「猫が、可愛いのでしょう」
 無意識のうちに否定の言葉を出していたらしく、イギリスはぱっと顔を上げ、不安そうな顔で俺何か言ったか、と訊ねてきた。その事に日本は驚き、数秒迷った挙句、いいえ、と言った。イギリスを混乱させるのは、得策ではない気がしたからだ。イギリスは縁側で体を揺すっていたが、すぐに靴を取り出すと、日本と猫に近づいた。猫は新たな人物を見つけ、目を細める。
「うん、可愛い可愛い」
 なぁ、と日本に同意を求めてきたが、自身に言い聞かせる様でもあった。敢えて何も言わず、えぇ、と曖昧に頷く。うんうん、と頷き、自身に言い聞かせる姿は微笑ましく、ふふっと笑みが零れた。
 ふと、イギリスに着物は似合わないだろうか、と思った。また、着せてみたいとも思う。しかし、無理に着せるのも悪いと思い直し、想像で補うことにした。二次元専門だ、問題ない。金髪には紺が似合うでしょうか、あぁ良く似合うでしょうね。日本の中で、勝手に想像されていることも知らず、イギリスは猫の頭を撫でている。あらゆる意味で、平和な光景だ。
「そろそろ、この猫、塀の外に出した方が良くないか。あんまり懐かれると、この家の猫になると思うぞ」
 それもそうですね、と脳内トリップしていた様子は微塵も見せず、小さく頷く。自分も強かになったものだ、と日本は苦笑せざるを得ない。イギリスよりも、僅かばかり長い年月を生きているからだろうか。発展は、イギリスよりも遅かったのだが、それはそれ。
 若かりし頃の、純真であった己に思いを馳せていたが、イギリスが猫を抱き上げた事で我に返る。それと同時に、日本は慌てた。イギリスが着ている物は黒のスーツであり、猫の毛がつくと良く分かってしまう。イギリスのスーツに猫の毛がつく事を、日本は良しとせず、日本は少し伸び上がって、猫を自分の腕へと抱き込んだ。
「駄目ですよ、イギリスさん。猫の毛がつくじゃないですか、・・・あぁほら、いっぱいついてます」
 猫を支える一方の手を離し、片手で抱えられるように抱き直してから、イギリスの前身についた猫の毛を一本一本取り上げた。イギリスの身体が嫌がるように揺れるが、日本は気にせず取っていく。小さな毛だけは僅かに残ったが、粗方とれると日本は猫を外に出した。再びイギリスに近づき、縁側に戻ろうと誘う。
「毛を落とすブラシを持ってきます」
「あ、あぁ、頼む」
 日本が奥へ引っ込むと、イギリスは何もする事がなくなり、どうしようかと思案を巡らせた。二人でいる時も大抵何もしていないが、誰もいないとなると話は別だ。しかも、イギリスが家主であるならばまだしも、ここでは日本が家主である。そう思って庭に目をやっていたイギリスだったが、日本は思いの外早く戻り、イギリスは安堵した。
「これ、どうぞ」
 ありがとう、と礼の言葉を言いながら、ブラシを受け取る。二・三回も通せば、猫の毛は取れた。
「毛は面倒だが、猫はいいよな。好きだ、」
 日本の心臓が跳ねる。胃の辺りと胸の辺りのざわつきを感じながら、何とかやり過ごした。好きだ、とは軽々しく口に出して欲しくない、と日本は溜息をついた。全く、厄介で迷惑な男だ。しかし、その男を好きな自分も同じだ、と日本は苦笑した。自分だって、厄介で迷惑に違いない。
 イギリスはふと黙って、日本をじっと見つめてきた。一体何だ、と思いつつも顔には出さず、ゆっくりと微笑む。イギリスはふい、と視線を外したが、そのうちまた日本を見つめた。
「あの、さ、日本」
「はい」
 相も変わらずうじうじとする様子に、日本は焦れったくなる。しかし、辛抱強く待った。好きだからこその成せる業である。
「もし、俺が、」
 一旦言葉を区切り、日本を見てくる。日本は微笑んだままで、イギリスは安心した。
「もし、俺がだな、好きだと言ったら、軽蔑するか、」
「、」
 日本の両目が驚きに見開かれ、数回の瞬きを繰り返した。好き、好きとはラブかライクか、まして一体誰を或いは何を、好きだと言うつもりなのか。その言葉が頭を駆け巡り、とりあえずは安堵した。他の物や人を好きだと言われるのは辛いが、自身に言われる心配はなさそうだ。そちらの方が、余程体に悪い。
「えっと・・・・一体何を好きと、仰るんです」
 イギリスの目はいつまでも日本を見ている。何らかの決意や意思といった、或いはそれに準じるものが見え隠れしている。
「お前、だ」
 日本はたじろいだ。当たり前とも言えよう、日本の中にこの解答は無かった。飽くまで友愛の事であろう、と日本は笑みを引きつらせ、尚も訊ねる。
「勿論、ライク、ですよね」
 イギリスは逡巡する様を見せた。焦ったような申し訳ないような顔をして、首を何回も振る。日本の頭が、今度こそ真っ白になった。本当に、予想してもいなかった答えに、日本は戸惑い、思考をやめた。
 ライク、ではなくラブであり、それを言う相手は私。有り体に言えば、
「私を、愛しているので・・・・」
 呆然と顔を上げると、真っ赤になり涙まで浮かべたイギリスと目が合った。イギリスも興奮状態で自我亡失しているのだろう。そうでなければ、涙を浮かべる筈もない。日本は慌てて、イギリスに寄り添った。慰める為だ。
「すまない、言われたところで困るよな。気持ち悪いし」
 頭に手を当てて、項垂れそう呟くイギリスに、日本は否定したい気持ちでいっぱいになる。少しの間絶句して、静かにそんなわけありません、と否定した。イギリスが顔を上げる。
「私も、貴方が好きですから、」
「ライクだろう」
「愛してる、です」
 イギリスの顔に、ゆっくりと喜色が浮かんだ。そして、日本を抱き締める。日本の顔はイギリスの胸辺りに埋まり、日本は目を閉じた。静かにイギリスの背に手を回すと、耳元で好きだ、愛していると幾度となく囁かれる。私もです、イギリスさん、と言って、腕に力を込めた。細身に見えるイギリスの体は、存外硬く、鍛えられている、と日本は思った。
 あの時、考えてみれば同時に告白もされたのだ、と日本は思い出し、くすりと笑った。自然と笑みが浮かんできたのだ。あの時のイギリスが一番素直で、思えばあの日は最初から可笑しく、イギリスらしくなかった。
(そろそろ、イギリスさんも着く頃だろう)
 日本は縁側から立ち上がり、庭の風景を後にした。あれからイギリスの花も増えた庭では、紅葉が見ごろを迎えている。また、褒めて貰えるだろうか、と、日本は幸せの笑みを浮かべた。







10万ヒットお祝いに、SomeDay, SomeWhere.の嘉月様に捧げます
て、11万ヒットなされたのに、ちょ、あたし・・・orz
こんなグダグダで駄目なSSですが、捧げます!!
それにしても、あたしは告白好きだなぁ。

くしの実