口実




 隣町で夏祭りがあるらしい。その話を聞いたのは、祭りがある当日の朝だった。
「隣町、ねぇ・・・」
 思案をめぐらすように呟く綱吉に、祭りがある事を教えた山本は首を傾げた。言外に、一緒に行こうと誘っていたのだが、何やら予定があるように見える。
「何か、予定でもあんの?」
「あぁー・・・・うん。まぁ」
 言葉を濁して答える綱吉に、山本は溜息をつくと、じゃあ、と続けた。
「俺が行く意味、ねぇなぁ」
「・・・ごめんね、」
 すまなそうに頭を下げると、山本はカラカラと笑って、綱吉の髪を撫でた。
 綱吉に、大した理由があるわけではない。ただ、隣町にいる碧い髪の青年と行きたいのだ。彼は、綱吉を心底から嫌っているのだが、綱吉は構い倒している。綱吉が彼を好きだから、彼に面目ない、と思いこそすれ、罪悪感は生まれない。彼の命運は、綱吉に出会った時から尽きているのだろう。
 山本に一言声をかけ、教室の外に出る。おもむろに携帯電話を開くと、彼の番号をプッシュした。何も考えずとも、綱吉の指は押していく。一時のコール音の後、繋がった。
「はい」
「あ、もしもし?」
 向こうから聞こえる彼の声は、最初こそ柔らかいものだったが、綱吉の声を聞くと、途端にトーンが低くなった。
「・・・・また君ですか、」
 懲りないですね、と彼は続ける。綱吉は電話の向こうの彼に悟られないように、小さく苦笑した。それで、と彼は行った。
「今日は一体、何の用件です。くだらない用件だったら、たたっ切りますからね、」
「あ、やだそれやめてね」
 古式な彼は、携帯電話を所持しない。曰く、滅多に外出しないから、らしい。だから、彼は家庭用電話機しか持っていない。家庭用電話機は、携帯電話のように押して切るだけではなく、元の場所に戻して切ることもできる。そのため、電話を叩き付ける様にして通話を終了させると、耳に大きく響いて、非常に痛い思いをするのだ。実際、綱吉はそうやって切られたことがある。そのことを思い出すと、やはり耳が痛い。
 綱吉が焦ったように言うと、彼は電話の奥で低く笑った。
「・・・・ックフ。なら、くだらない事は言わないことですね、」
 はぁ、と適当に返事をして、黙り込んだ向こうの相手に、綱吉はゆっくりと言った。
「え、と。今日の用件は、」
「はい、」
 綱吉はたたっ切られることを覚悟する。
「夏祭りに一緒に行きましょう!!!」
「はっ?」
 彼は思わず素っ頓狂な声を出した。綱吉も、ええいとばかりに、畳み掛けるように用件だけを伝えて、電話を切った。自身から一方的に切ったおかげで、耳が痛くなる事は免れた。それじゃあ、と言った時にちょっと、と聞こえた気がしたが、無視している。それ故、あまり来てくれるだろう、という希望は持っていない。
 今まで人気のない廊下にいたので、小走りで教室に戻った。入った途端、チャイムが鳴る。キーンコーン、と暢気に鳴るチャイムを聞きながら、安堵の息をついた。
 気も漫ろに数学の抜き打ちを受け、昼食を食べ、いつの間にか放課後になっていた。全速力で自転車を走らせ、家に帰る。途中、知り合いに呼ばれたが、悪いと知りつつ無視させてもらった。後で、怒られようと構わない。家に着くと、門を開けるのももどかしく、慎ましやかな庭へ自転車を放り出すと、扉を開けた。いつもなら、並べる靴も適当に脱ぎ捨てる。
「ただいまぁ」
 一応、台所にいる筈の母に声をかける。二階に上がったとき、おかえりなさぁい、と柔らかい声が聞こえた。
 鞄を適当に放り出すと、着替えをとって浴室に入った。洋服をあわてて脱ぐと、手早くシャワーを浴び、身体を洗った。夏は汗だくになり、汗の臭いがする。街中でそのような男に会うと、いくら鈍い綱吉とて不快だ。今日は、自分の好きな人に会うのだから、尚更と言えよう。隣で並んで歩くのだから、絶対に気は抜けない。不意に、彼が来ることを前提として考えている自分にハッとし、綱吉は小さく苦笑した。
 浴室から出ると、髪から滴る水も碌に拭わず、荷物をとりスニーカーを履いた。
「ツッ君、」
 行って来ます、と綱吉は言おうとしていたから、語尾は消え入った。母が、おたまをもって台所から顔だけ覗かせている。綱吉はドアノブから手を放し、その場で駆け足をした。
「お祭りに行ってくるの?」
「うん、そう。ねぇ母さんもう行ってもいいだろ」
 急いた様に綱吉が尋ねると、母は苦笑した。それを合図にドアを開き、走り出す。後ろでは、母が手を振っていたが、あえて気付かないふりをした。
 自転車は、綱吉の思うとおりに進んでいく。もう少し、余裕を持った時間にすれば良かった。綱吉は小さく舌打ちをしたが、今更だ。とにかく、今は進むばかりである。空は、藍と橙が雑じりあい、ない交ぜになった奇妙な色で染まっていた。
 神社に近づくにつれ、浴衣を着た女性や子供が多くなってくる。その中を、自転車で走った。なかなかに急な坂を自転車で下りる際には、ベルの音を響かせる。途中、そのような自転車を何台も見かけた。
 綱吉が向かっている神社は、それなりに大きい。並盛のものまでとはいかないまでも、参拝客は多い。敷地はそれなりだが、毎年この神社で行われる夏祭りは、大規模なことで有名だ。社の中ではお祓いのための舞が踊られ、屋台の数も、並盛の比ではない。屋台の数が多いのは、場所代が多少安く済むからだろう。並盛では、並盛高校風紀委員に、ショバ代と称して金を巻き上げられるのだから。
 下りきった坂を左に曲がると、お囃子やざわめき、人々の熱気というものが一挙に押し寄せた。これだよこれ!と綱吉は思う。また、熱気やざわめきと共に、赤い鳥居も見えてくる。綱吉は自然な動作で自転車から降りると、それを押して歩いた。空も、紺の色合いが強くなり、祭り用のちょうちんに明かりがついていくのが見えた。
 三メートル近くもある鳥居の根元に、佇む少年を見つけた。人々は、その少年を避けるように、階段を上っていく。即座に彼だ、とアタリをつけた綱吉は、自転車を押しながら走った。階段の下で、何台もある自転車と同じように停め、階段を駆け上がる。
「骸!!」
 彼、否骸は、綱吉の声に反応し、鳥居から背を離すとシャン、と立って綱吉を見下ろした。
「・・・沢田綱吉、随分遅かったじゃないですか、」
「えー、これでも急いだよ、俺、」
 焦って弁解する綱吉に、骸は馬鹿にしたような笑みを浮かべると、段を上りだした。慌てて骸の後を追いかけ、横に並ぶ。そうして並ぶと、彼との背の差は顕著になった。  骸は饒舌な人間ではない。どちらかといえば寡黙ですらある。それ故、二人の間は沈黙で満たされた。だが、嫌な沈黙ではない。祭りの喧騒に耳を傾けながら、屋台で売られている商品を眺めて歩く。隣の骸も同じようなことをしているようだった。
「ねぇ、」
 不意に、骸から声をかけられ、綱吉は数々の屋台から骸へと、ゆっくり視線を移した。骸の顔は、呼びかけなど無かったように静かだ。そうして、暫くの間彼の横顔を眺めていると、骸も綱吉の顔を見下ろした。
「君は一体、僕のどこに惹かれたんですか?僕は、それが不思議でならない、」
 その問いに驚いたように、綱吉は瞠目すると、うーんと呻って、それからニッコと笑った。
「帰りで、いいですかね?今は、せっかくの祭りを楽しみたい、」
 骸は、ええ、と呟いただけだった。
 二人はとにかく人の波に流されて歩いていた。その所為か、気付いてみれば社の近くに来ている。屋台は、遥か遠くに並び、お囃子の音が大きく聞こえた。慌てて骸の顔を仰ぎ見たが、彼はなんら動じていない。綱吉は、眉根を寄せた後、小さく溜息をついた。
「骸、」
 何ですか、と問い返されて、綱吉はほっとした。一体何に安堵したのか分からなかったし、何故か、と問われては返答しようがないが、それでも確かに安心したのだ。
「今日さ、お前来ないだろうなって、俺は思ってた」
 心外です、とでも言いたげな顔で、骸は綱吉を見下ろした。
「でも、来てくれただろ。ちょっと、嬉しかった、」
「なら、良かった」
 少しすましたように骸が言うと、綱吉は声を立てて笑った。最後に、ハハ、と零すと、二人の間はまた静かになる。社の中の経を読む声がはっきりと聞こえた。子供の泣き声も遠くから聞こえる。
 小さいときに、一度だけこの祭りに来た事があった。予定では、家族三人で来る事になっていたが、その日父はまたどこかへと旅立った。綱吉がその事で拗ね、母を困らせた事を覚えている。母は、拗ねた綱吉を負ぶって、家を出た。久しぶりの母の背中は、小さいが温かかった。しかし、綱吉を負ぶった母は、少し辛そうな顔をしている。綱吉は下りて歩こうかとも思ったが、まだ分別のない小さな子供だったのと、黙って父を見送った母への怒りもあって、辛そうな顔は見て見ぬふりをし、小さな背中へ額をこすりつけた。
 さすがに、神社につくと下りたが、綱吉は怖くて母の手を握った。赤い鳥居は大きな口、屋台が並ぶ提灯だけしか明かりがない、社への道はその口の中。幼い綱吉の目には巨大な怪物のように見えた。母は何も言わず、手を握り返してくれる。
 久しぶりに思い出したその思い出は、今でも苦い感情を伴って、綱吉の中で忘れ去られていた。小さな子供特有の恐怖、母への小さな反抗。一つを思い出すと、芋づる式に思い出すもので、金魚が掬えなくて拗ねた事も思い出した。どれ一つとっても、いい思い出ではない。
「なぁ、屋台行こう。結局社のほうに来ちゃったし」
「一人で行けばいいんですよ。僕は社の中で行われている舞に興味があります、」
 舞を見ている骸の横顔は、美しかった。しかし綱吉はむっとして、骸の手を掴み、社に背を向ける。手を引っ張ると、骸も歩き出した。
「金魚掬い、してもいい?」
「ご自由に」
 屋台の前を通り過ぎる際に綱吉が問うと、骸は興味なさそうに首肯した。じゃあ、と綱吉は困ったように、金魚掬いの屋台の前へ行った。
 屋台には既に先客がいた。小さな男の子で九か十ぐらいだ。甚平を着たその男の子は、動き回る金魚を前にどうすればいいのか視線をうろうろさせている。綱吉は、その姿を微笑ましくも苦く思いながら、その子供に声援を送っているおじさんに声をかけた。パッと顔を上げて、快活に笑うおじさんにつられ、自然と綱吉も笑顔になる。指を一本立てると、あいよと言っておわんと薄い紙を張った輪を差し出された。お金と引き換えに二つを取ると、兄ちゃんも頑張れよ、と声をかけられた。
 ちょうど、綱吉がしゃがんだ時、横からあっという声が聞こえた。息を呑むような音がした後、再度あ、と呟かれる。小さな男の子だった。丸く見開かれた目に、徐々に徐々に涙が溜まっていくのを、綱吉は目前で見た。
「ぼっ、坊主、泣くな泣くな!!一匹やるからよぉ」
 屋台のおじさんは慌てて透明な袋に一匹捕まえ、水を少し抜くと上の口を絞ってから、男の子に渡した。捕まえられた金魚は、小さな袋の中でうろうろと、行く先も決めないまま虚ろに泳いでいる。男の子はまだ涙を湛えたまま、手の中の金魚を不服そうに眺めた。
「赤いのやだ。黒いのがいい」
「捕れなかったんだから、仕方ないでしょう。おじちゃんにお礼言いなさい、」
 人ごみにまぎれて分からなかったが、母親がいたらしい。むすっと金魚の入った袋を胸に抱えたまま、頭も下げようとしない子供の代わりに、彼女が頭を下げた。
「兄ちゃん、早くやんなよ」
 少し残念そうなおじさんにせかされるまま、綱吉は金魚に目を落とす。ちらりと横に目をやったが、人々の雑多な足元に紛れ、もう母子はいなかった。
 先程の男の子のように、綱吉も金魚を一匹一匹目で追っていると、上からおわんと輪をとられてしまった。慌てて上を見ると、骸が両手に持っている。ええ、と言いたそうな表情を浮かべると、骸の薄い唇が捲くれた。
「ヘタですね、君は。代わりに僕がやってあげますよ、」
 暗い紺の浴衣が、皴にならないように座ると、むくろはさぁっと金魚に目を走らせた。それから、間もおかずに輪を水の中に突っ込むと、鮮やかな動きで二匹の金魚を掬い上げた。黒と赤を一匹ずつだ。おわんの中で、僅かな水を糧にし、二匹は苦し紛れにひれを動かしている。何故だか見たくなくて、慌てておじさんに渡した。
「兄ちゃんうめぇなぁ」
 おじさんは、手馴れた手つきで金魚を移し入れ、水を付け足すと、綱吉ではなく骸に渡した。それを骸は受け取り、おや、という顔で金魚とおじさんを見比べると、最後に笑う。綱吉は頭を下げると、先に歩き出した骸を追いかけた。
 金魚掬いをするまでは、綱吉が先を歩いていたが、今は逆転し、骸が先を行っている。骸は足が長く、それでいて歩くのが早いものだから、綱吉は走って彼を追いかけなければいけなかった。彼の内に、遠慮という言葉は存在していないようである。骸は、そのまま屋台が並ぶ所を通り抜け、曲がった。
「骸、お前どこ行こうとしてるんだよ!!」
 綱吉が焦って声をかけても、骸は返事を返さない。怖くなって、黙ったまま彼の後を走って追いかけた。
 骸と綱吉が入ったそこは、真っ暗な樹海だった。お囃子の音が大分遠くで聞こえ、神社から離れていることを知らしめている。どこかで虫が鳴いているのか、涼やかな声が聞こえてきた。
 骸はどこかもう少し奥に行くと、振り向いた。
「早く、」
 静かな声でそういわれ、綱吉は肩を跳ねさせて走った。骸の所まで行くと、彼は黙って自分の隣に視線をやる。(隣に来いって事?)、綱吉は驚き、骸の顔を見ながらそろりそろり、と横へ立った。
 冷えた風が吹き抜けているらしく、走って火照った身体には気持ちがいい。僅かに平地より高いそこは、眼下に緩やかな流れを描く、川が流れている。耳を澄ましてみれば、木が繁茂した小さな森から、ざわめきも聞こえてくる。田舎というのが似つかわしいが、ただ空には星がたった少しだ。骸はこれが見せたかったのだろうか。そう思って見上げると、違いますよ、と見透かしたように言った。
「ここは、少、」
 少し、と続けようとした時にヒュー、というやや大きな音が聞こえてきた。その後ドォン、と大きな音がし、空に大輪の花が咲く。人々の歓声と拍手が沸いた。綱吉も知らず、わぁ、と嬉しそうに零す。
「ここは、少し特別な場所なんですよ」
「へぇ・・・。いわゆる、穴場ってやつ?」
「そうとも言います、」
 向こうでは、人々の頭で完全には見えないのだ、と骸は言った。成程、確かに神社の中では、あまりに人が多すぎて、見る場所に困るだろう。綱吉はまたへぇ、と目を見開くと、次の花火に目をやった。
 花火には、有名な花火師が参加していると聞いた。勿論、地元の花火師だけでも大変楽しめるのだが、花火の良し悪しは分からずとも、有名な花火師、と聞いただけで、尚更感動するのは何故だろうか。空に日を散らしながら咲く花は、日本人でよかった、と心底から思わせた。
「終わったら、お別れ、ですよねぇ」
「僕は嬉しいですよ。君は落ち着きが無い、」
 フン、と鼻を鳴らすと、綱吉は心底楽しそうに、そして幸せそうに笑った。


 後日、綱吉は山本に祭りに行った事を白状した。(骸と行った事は黙っていたのだが。)山本は、カラカラと笑っただけだったが、どこか悲しげで、綱吉は平謝りをしたい思いに駆られる。
 山本に、祭りの感想を聞かれて答えているうちに、骸と花火を見たところを思い出し、綱吉は聞いてみる事にした。
「そういえば、花火を見る穴場があるんだね」
「穴場?、」
「うん。何かさ、林、みたいなところなんだけど、」
 綱吉が図で書いて説明すると、山本はクスリと笑った。ククク、と低く笑う山本に、綱吉は慌てる。
「え、ちょ、俺何か変なこと言っ、た?」
 心配そうに尋ねる綱吉に、ごめんごめん、と山本は手を立てると、また笑った。んで、と山本は続ける。
「そこは誰かと?」
 視線をグールグールと回した後、綱吉は眉を下げた。骸と行った事を、言ったものかどうか悩んでいるのだ。うーん、と呻ってまで悩む綱吉に、ストップをかけると、また山本は無理しなくていいぜ、と言った。
「そこな、実は、」
 山本は綱吉の耳元で、こっそりと言った。思わず、綱吉が顔を真っ赤にさせて立ち上がったのも、無理はないだろう。







5万ヒットお祝いに、SomeDay, SomeWhere.の嘉月様に捧げます
ちなみに補足しますと、骸と綱吉が行った所は、
縁結びの森とかなんとか呼ばれてるところでした(´∀`*)

くしの実