**キラリ、キラ、** 日が暮れた時間帯の校舎内は、どこか侘しい。橙色とも紅色とも形容できない色で染め変えられた校舎は、異界のようにも感じる。ギラギラと照った太陽も暮れかかり、自分の周りには殆ど音も存在しない。あるとしたら、吹奏楽部の金管の音か、運動部の掛け声だけだ。 だから、綱吉は夕方の校舎が苦手だった。訳も分からず萎縮しながら廊下を歩く度、鞄に入っているペンケースが音を立てた。 嫌だ、と言った筈だ。放課後まで残って、アンケートの集計作業なんて。だが、クラスでも立場の低い綱吉に、否定権なんてありはしない。その場では行わない、と決めたものの、話し合いが終わった直ぐ後に押し付けられた。出来ないよ出来ないってば、と憤って言ったが、「やんなかったらお前の所為だぞ」、そうまで言って脅されれば、仕方なくやらざるを得なかった。 (くっそー、なんだよ、何なんだよ!!皆して、俺をはめて、) ブツブツと愚痴を言っていたら泣けてきて―情けないなぁ―、鼻をすすって鞄をかけ直す。廊下から見える教室内は、やはり一様に日の色で染まり、早く帰ろう、と綱吉は思った。 綱吉だって暇じゃないのだ。やりかけのゲームだって、読みかけの漫画だって、解きかけの数学だってある。皆と一緒だ、綱吉だって中学生だ。やりたい事はいくらでもある。でも、他の同級生たちは、そう思っていないらしい。どうやら、綱吉は暇人、というカテゴリに割り振られているようだ。 そんなの勝手じゃないか、と思うが、綱吉の性格が災いして何も言えない。今まで一人きりだったが、山本や獄寺といった友達が出来た今、前よりも交友関係に臆病になってしまっている。 (・・・何だかなぁ) ぼんやりと考えていた綱吉は、歩みをゆっくりと止めた。ゆっくりと廊下の窓枠越しに、教室から窓の外を見てみる。小さく区切られた空は、茜色と藍色が交じり合っていた。急に切なくなって、胸がシクシクと痛む。 汗が一筋伝って、首筋をくすぐった。 ハッ、と気付いてみれば、応接室の前にいた。重厚な雰囲気を感じさせるドアを前に、自身の手がノックしかけている。慌ててその手を下ろして、鞄をかけなおした。 (何で、こんなとこにいんの、俺) 全く以って不可思議だ。だって意識がなかったのである。気付いてみれば応接室、なんて、一体どんな神経をしてるんだ、と自分の事ながら綱吉は首を捻った。だが、そうは言えど、虚しいままでいるのも何だか悔しくて、控えめにドアをノックした。向こうからは何も聞こえない。よく耳を済ませていると、誰、と聞こえた。 「沢田綱吉、です」 少し大きな声で返せば、また入って、と聞こえた。 そっとドアを開く。失礼しますと小さな声で言うと、敷居をくぐった。とたん圧し掛かるような空気の重さに、綱吉はフラつきながら、応接室に立った。ただ立つだけだ。何もしない。ボーっと雲雀を見ていると、彼は雑誌から目を上げて―雑誌なんて、意外だ―、絶対零度の声で言った。 「座れば」 「はっ、はい、」 この空気の重さは、やはり部屋の主が発生源なのだろう。室内に目を向けると、やはりと言うべきか、応接室だけあって綺麗だった。棚に填め込まれたガラスは一点の曇りも無く、棚に収納されているトロフィーの数々は磨き上げられ、輝いていた。天井付近に目を飛ばせば、高い位置に掲げられた歴代の校長の写真が、額縁に入って飾られている。その無表情な顔が入った額縁も、ホコリを被らず綺麗なままだ。かなりすみずみまで手入れされている。あまりの清潔感に、居心地が悪い。 (これって、掃除すんの、風紀委員なのかな) 雲雀が掃除しているところなど想像できない。掃除しているのだとしたら、それこそ意外すぎる。 何も見るものが無くなって、綱吉は雲雀の持っている雑誌へ目を落とした。細身の男性がニッコリと笑って写っている。いわゆるファッション雑誌というやつだ。キョッと目を見開くと、慌てて口に手を当てた。きっと、誰かから没収した雑誌なのだろう。 ふと、雑誌を捲る雲雀の指が目に付いた。長く細い、繊細な指は、雑誌を捲るのにすら、優雅な動きをしている。真っ白な指が動くたびに、ドキリとした。ハッとして頭を緩く振る。 「それで?」 「えっ?」 突然雲雀に問いかけられて、綱吉は顔を上げた。顔を上げると、雲雀の顔はまた光に縁取られている。思わず目を細めた。 「一体、君は何をしに来た訳?」 一瞬はて、と考えたがああ、と小さく呟いた。そんな綱吉に、雲雀は眉を顰める。 「何、来た理由も忘れたの?」 「あっ、いえ、違うん、です」 慌てて綱吉が首を振ると、雲雀は苛立たしげに指で机を叩いた。雲雀の眉間に皺が寄っているのを見て、綱吉は首を竦めた。 「じゃあ、一体何で来た訳?」 「・・・・特に、理由はありません。ただ会いたかったから、じゃダメですか?」 綱吉がむくれたように言うと、雲雀は息をついた。 外は、もう薄暗くなっている。空には、白い小さな月が、うっすらと浮かんでいた。それを見ながら、綱吉は天を仰いだ。そのまま静止していると、微かに雲雀が雑誌を捲る音がする。もう廊下は暗いんだろうなぁと思いながら、綱吉は目を閉じた。 「眠いの?」 ふいにかけられた声に、また綱吉は吃驚して、雲雀を見た。雲雀はいつもと同じで無表情だ。それでも綺麗だなぁと思いながら、いいえと返した。 「違うんです、ただ、何だろう、」 そこまで言って何が言いたかったのか分からなくなり、押し黙った。室内はまた静かになり、外を爆走しているのか、バイクのエンジン音が鮮明に聞こえた。 そう、と言ってまた雑誌に目を下ろした雲雀を、綱吉は静かに見てみる。重力に引かれ、流れ落ちた黒髪は、キラリキラリと輝きながら雲雀を飾り立てている。その下に隠れる瞳も、また同様だ。羽織った上着は汚れなどなく、下に見えるYシャツはパリッとしていた。 一方綱吉はというと、髪は重力に逆らい天を衝き、頼りなげに下がった眉の下の目は綺麗だが、服はヨレヨレだ。雲雀と正反対である。今更だけど、雲雀さんってやっぱり綺麗だ、と綱吉は思った。 「何か飲むかい」 綱吉は視線を下げて、雲雀の顔を見た。彼はもう雑誌を開いてはいない。頂きます、と言うと、雲雀は小さく頷いた。 少しして出された紅茶は、上等なカップに入っていた。香りも甘い。きっと、綱吉の味覚を考慮してのチョイスだったのだろう。口をつけて一口飲むと、仄かに甘い味が舌に広がった。 「美味しいですね、この紅茶」 「君には甘いのがいいかと思って」 軽く肩を竦める姿は、様になっている。はぁと呟きながら、また一口すすった。 もう夜は訪れていた。真っ暗な窓の外からは、町の光やネオンサインが輝いて見え、虫の声が聞こえる。虫の音は、蒸し暑い夏の夜を涼しげにしていた。 「ねぇ、」 「はい?」 またも唐突に切り出されたが、今度こそ驚かないで綱吉は返した。僅かな満足感が残る。雲雀は立ち上がって、静かに言った。 「星を、見に行こうか」 はい、と綱吉が嬉しそうに言うと、雲雀も初めて笑う。 真っ暗な校舎は、雲雀と一緒だからか、不思議と怖くなかった。それでも、窓の外で暗い木々が蠢くと、少し不安を感じる。その度、雲雀が綱吉を見下ろし、その暗闇で輝く彼の目を見るだけで、安心した。 彼が向かった先は、屋上だった。屋上のドアを開けると、星が煌いて見える。その見える数は、いつも見るより少し多かった。綱吉が感嘆の声を漏らすと、雲雀が得意そうに微笑む。 「なかなかいいだろう。前に見た時、いいと思ったんだ」 「へぇ・・・。本当、綺麗ですね。なんか星が近い」 綱吉が空に手を伸ばした。キラリ、キラ、と輝く星は、綱吉の目の前に落ちてくるかと思うほどだ。 また来れるといいな、その時は、皆と一緒に。ああ、でも雲雀さんは怒るかな。そう考えると、不思議と、笑みが零れた。 |