優しいあなた 突然降り出した夕立の細かい雨に打たれながら、綱吉は家までの短い距離を走っていた。朝の天気予報では雨なんて聞いていないし、常日頃から折り畳み傘などを常備するなどという習慣がない為、鞄はもとより制服も濡れている。いくら細かいとはいえ、雨には違いないのだ。 「ああっ、もうっ・・・!後もうちょっとなのにさ、家まで!」 それまで待っててくれたっていいじゃん、などと雨に対してぼやきながら、走る。ズボンの裾は跳ね返った水滴で随分湿り、そこだけが重い。その感覚が気持ち悪い、と思いつつ、とにかく帰路を急いだ。 途中、何度かずっこけそうになったが、綱吉は無事家に着く事が出来た。とは言ったものの、制服、鞄、靴が濡れたことに変わりはない。うへぇと眉を盛大に顰めた後、ズボンで濡れた手を拭いドアノブに手をかける。 「ただいまー」 半袖の制服で、体が冷やされていた所為だろう。家の中はとても温かい。冷えた体をブルッと震わせて、綱吉は二階に上がった。 綱吉も、今年で中学校三年生だ。いよいよ受験生である。だが、そんな綱吉の事情にお構いなく、階下ではランボの大きな声と奈々の笑い声が聞こえてくる。 (普通、こういう受験生がいる時ってさ、気を使うもんなんじゃないのかよ) 手すりに掴まりながら小さくため息をついた。まぁこの家にそんな繊細な人間がいるとは思えないが。 自室の扉の前に立ち、ドアを開く。 「リボーン?」 ドアを開けて鼻先だけ出し尋ねた。向こうでなにやら人が動く気配がする。ああ、やっぱりいるんだなぁと思って、思い切り開けた。 綺麗とは言いがたい部屋のベッドの上に、リボーンはいた。円らな瞳は変わらず、瞬きもせず綱吉を見つめてくる。こてん、と首を傾げてから、綱吉は鞄を下ろした。背中に感じるのは、リボーンの視線だろう。それから振り向いてただいま、と笑んで言えば、ふんと鼻息だけが返ってきた。 いつだって、リボーンは変わらない。その凶悪な銃でもってして、綱吉を脅すし、時には殺そうとする。だがその根幹に綱吉への優しさがあるのは、もちろんのことだ。 「リボーン、俺着替えるよ」 シャツのボタンをぷちぷちと外しながら、もごもごと綱吉は言う。それを聞くと、到底幼児には似つかわしくない銃のカタログから、リボーンは顔を上げた。 「何だ、俺に出て行けって言ってんのか」 「や、違うけどさ」 綱吉はシャツから目を離し、慌てて大きくかぶりを振る。そんな綱吉を見ながら、リボーンはまた、嘲笑うように鼻を鳴らした。 シャツ、ズボンを脱いでみると、それらは思いのほか濡れていた。あっちゃぁと小さく呟くと、綱吉は大きくため息をついた。最近、いろいろある所為か、ため息が癖になっている。 濡れないように、シャツとズボンを抱えながら、綱吉はリボーンにまた声をかけた。 「リボーン、下行くけど、何か飲み物とかいる?」 リボーンは再び雑誌から顔を上げてから小さく首をかしげて、それから雑誌を閉じた。ピョコンという擬音が似合ってしまうような降り方で、リボーンはベッドから降りた。相変わらず、傍らにはレオンがいる。何をする気だろう、と今度は綱吉が首を傾げた。訳が分からず、首を捻っている綱吉に、リボーンは低く笑う。またも幼児に似合いなどしない。 「俺がいるのはエスプレッソだけだ。だが、お前が淹れたクソのエスプレッソなんざ、飲まねーに決まってるだろ」 零したら地球によくないしな。 それなら飲んでしまえばいいのに。人が作ってやるというのに、なんと不遜な態度なんだか。ああだけどこれがご婦人には受けるのかな、と考えて悲しくなる。 (俺なんて、全然、自慢じゃないし自慢にもなんないけど全っ然!モテないのに・・・) そんなの理不尽だ。理不尽すぎる。しかし今までの事を全て喋ってしまうわけにもいかず、綱吉は口を噤む。 と、なるかと思った。 目前で綱吉が淹れたエスプレッソを黙々と飲むリボーンは、異様な光景だ。雑誌に目を落としながら、時折「マズ」なんて失礼な事を吐きつつ飲んでいく。はっと我に返り、綱吉はリボーンに掴みかかった。撃たれる、なんて微塵も思っていない。要は、唯単に忘れていただけだが。 「りりりりリボォン!?おまっ、そんなまずいの吐き出せ!自分で淹れた奴の方が、絶対美味いって!!なぁリボーンさん!?」 がくがくと揺さぶられる感覚にいらりときたリボーンは、懐から銃を出して綱吉の眉間に正確に当てる。 「・・・五月蝿ェ」 「・・・・・・・・・すいませんっしたー・・・・・」 降参のポーズをしながら、綱吉はベッドから降りた。そのままリボーンが飲み終わるのを見守るしかない。 ようやく飲み終わったとき、リボーンはぐったりとしていた。綱吉はカップを取り上げながら、リボーンの顔を思案顔で覗き込む。 「リボーン、大丈夫か?あんなまずいの、何も飲まなくてもいいだろうに」 「まずくなんか、なかったぞ」 嘘だぁ、お前途中まずいって言ってただろ。 そうツッコミたくなるが、言えばリボーンの気分を悪くさせるだけなので、何にも言わないでおいた。机の上に参考書を広げて、綱吉は振り返る。 「俺、勉強するね。また、指導お願いします」 「・・・・・下、五月蝿ェな」 リボーンはドアの方を向きながら呟く。え、と綱吉が聞き返すまもなく、カップを持って階下に駆け下りていった。何だろう、きっとカップを流しに持っていったんだな。そう思って、綱吉はシャープペンシルを握る。参考書にかぶりつきになろうとした時、発砲音がした。ぎょっとして綱吉は立ち上がり、部屋を飛び出ると階段をいっきに駆け下りる。 一階のリビングに入ると、ランボがびえええと泣いていた。頬にかすり傷が出来ている。バタバタとランボに駆け寄り抱き上げた。そうすれば、ランボは綱吉にしがみ付き、肩口に顔を擦り付ける。このシャツ着替えよう、とぼんやりと思いながら、キッとリボーンに向き直った。彼の家庭教師は、立ち竦んでいる。 (珍しい、あんな立ち方するなんて) 情けないところなんざ見せたくもねェ、と日頃豪語しているリボーンにしては、珍しかった。しかし、そんな事も直ぐに吹き飛び、綱吉はまくし立てた。 「リボーン!お前何してるんだよ!!格下は相手にしなかったんじゃないのか!ランボ、泣いてるだろ!!」 「・・・・五月蝿いから、黙らせようと思っただけだ」 リボーンが綱吉とは反対に小さく呟く。その声もリボーンにしては珍しかったが、綱吉は相当頭に来ていて気付く筈もなかった。常なら、リボーンが銃を取り出すところだが、まったく出さないのにも綱吉が気付いた風はない。円らな瞳を帽子で隠したリボーンに、綱吉はまたまくし立てる。 「ああ、そうかよ!お前は自分の為に自分より弱い奴苛めるんだな!まぁそういう奴だもんな、お前!」 そこまで言ってから綱吉は唐突に口を噤み、ランボを抱えたまま二階行くと低く呟き、リビングから出て行く。 取り残されたリボーンは、拳を握りながら、俯いた。 綱吉は部屋に戻ると、ランボを下ろす。もう鼻をすすっていただけのランボに向き直り、ベッドの下に収納していた治療箱を取ると、胡座をかいた足の上に自分の方を向かせて座らせた。頬についた傷は浅く、出血も止まっている。ほ、とため息をつくと、綱吉はランボの頭を撫でた。 「怖かっただろ?・・・ったく、リボーンの奴・・・」 ブツブツと呟きながらランボの手当てをする。頬に消毒液をつけると、ランボはう、と小さく声を出し、身を捩ろうとした。そのランボを左手で強く支えながら、何とか消毒液をつけ終えると、綱吉は小さな絆創膏を貼った。やんちゃ坊主みたい、とクスリと笑うと、ランボは頬を押さえる。 「らっ、ランボさん、悪くないもんね!悪いのはリボーンだもん!!」 「分かってるって。何でそんな熱くなるんだよ」 ふふっと綱吉が笑うと、ランボは居心地が悪そうに俯いた。綱吉はランボをのけて立ち上がると、ランボに絵本を与えて言った。 「俺さ、勉強するから静かにしてて。下にはリボーンいるから、行きたくないだろ?」 「・・・うん」 気まずそうに頷くランボに、綱吉は眉を下げて笑う。 「何だ、大人しいな。どうしたんだよ」 ランボは誤魔化すように絵本を開き俯く。そんなランボにまた苦笑しながら、綱吉は目の前の参考書に意識を向けた。 始めて数十分、早速難題にぶち当たった。もともと、基礎から出来ていない綱吉にとって、どんな問題でも難題だが、この問題はそれらをとっくに凌駕している。うーんと頭を捻りながら考えてみるが、さっぱり分からない。綱吉は頭をかいた。 「なぁ、リボーン。この問題さっぱりなんだけど」 しーんと反応しない部屋に、綱吉は困惑した。 「リボーン?リボー・・・・」 名前を呼びながら振り返れば、そこにいるのはぐっすりと眠るランボだった。思考が急速に晴れていく。 (そっか、俺リボーンに怒ったんだった) そこまで考えて、いかに自分が恐ろしいことをしでかしたのか思い出し、体を小さく震わせる。なんて身の程知らずだ、俺。馬鹿という言葉が頭の中を駆け巡る。今更ながらによく殺されなかったと考えて泣きたくなった。 そんな前後があったのだから、リボーンではなくランボがいるのは当然で、しかしなぜか侘しい。綱吉自身、リボーンに怒って少なからずショックを受けていたのだ、と今頃思いつき、切なげに目を細める。リボーンは綱吉にとって家庭教師で、友人で、そして弟だ。小さくて、まだ守られなければならない弟。 (守らなきゃいけない弟に、怒鳴ってどうする俺・・・・) あぁっと自己嫌悪に頭を抱えていると、奈々の声が聞こえた。 「ツナー、ご飯よー」 「あ、はーい」 ランボを起こし、寝ぼけたランボが階段から転げ落ちないように背負う。トントンと階段を下りるたびに、ドキリドキリと胸が鳴った。 今に行くと、リボーンが椅子に座り足をブラブラさせていた。思わず可愛いと思ってしまったが、今は怒ってるんだった、と思い出し頭を振る。ガタッと荒々しい音を立てて椅子を引くと、綱吉に背負われうとうとしていたランボが、ふと綱吉にしがみついた。 「ランボ、座っとけ。リボーン、ランボ苛めんなよ」 台所からツッ君と呼ばれ、綱吉は二人を指差した。二人とも大人しくこっくりと頷く。綱吉は腰に手を当てながら、肩を上下させた。 台所で夕飯の支度をしていると、奈々が窺うように聞いてきた。 「・・・・ねぇ、ツナ?」 「んー?何母さん?」 「リボーンくんと、何かあったの?何か元気ないのよ」 綱吉は自分よりやや上方にある棚を探っていた手を止めた。瞬時にううんと首を振る。そう、と気落ちしたような母の声が下方から聞こえて、綱吉は戸惑いながら踏み台から降りた。 リボーンは、何で俺なんかに怒られたぐらいでそんな凹んでんだ?しかも、なんで銃向けないんだよ。 グルグルと考えても、思考にはキリがない。今日で一番大きなため息をついた後、カールマカロニが入った瓶の蓋を回す。母に瓶を渡すと、ありがとうと返された。 やっぱり落ち込んでるのは俺の所為なのか、と小さく呟くが、誰も返してくれはしない。ふと窓の外に目をやると、キラキラと星が瞬いていた。 (ランボが何か、知ってるかもしれない。俺は発砲音がした前の事は知らないし) そう思った綱吉は、居間に駆けていった。もしかしたら、何かこっちが間違っているかもしれないのだ。その所為でリボーンが何かショックを受けているのだとしたら、リボーンが不憫でならない。 「ランボ、こっちおいで」 座ったときにリボーンと向かい合ってしまい完璧に萎縮していたランボは、綱吉に呼ばれるとキラキラと目を輝かせながら飛びついてきた。腹のところに飛びついて顔を埋めたランボの頭を撫でながら、向こうにいるリボーンと視線を交わす。リボーンは、密やかに信号を送っているようだった。何も見えない黒い瞳を見続けるのが辛くなり、綱吉はふいっと目をそらし、ランボと共に廊下に出る。 廊下に出るとドアを閉め、小さな声でランボに話しかけた。 「ランボ、お前、本当に五月蝿かったからリボーンに撃たれただけか?何もしなかったのか?」 綱吉にじっと目を見られるのは居心地が悪いらしく、ランボはイヤイヤと身を捩る。しかし、綱吉が結構な力でランボの腕を掴んでいた為、逃げられない。 「リボーンに、五月蝿いって言われたっ!」 「他には?他には何にも?」 綱吉はじっと目を見る。ランボもそろそろと顔を正面に戻し、目を開けた。 「・・・・ツナの、勉強の邪魔になるって」 ランボが恐る恐る白状すると、綱吉は瞠目した。リボーンは自分自身の為にランボに発砲したんじゃなかった。俺の為に、してくれたんだ!!!俄かに動揺が襲い、頭を金槌で叩かれた気分になる。リボーンは、全て綱吉への優しさからやったのだ。 「・・・・っ、リボーン!!」 「ツナッ!!」 素早い動作で立ち上がり、ドアを開ける。一人廊下に取り残されたランボが綱吉の名を呼んだが、綱吉は無視する。リボーンはびっくりしたように円らな瞳をもっと大きくさせて、綱吉を見ていた。 「リボーン、ごめん、ごめんね!!!」 椅子に座っていたリボーンに抱きつく。リボーンは綱吉の温かさを感じながら目を閉じ、綱吉の背に手を回した。少しずつ成長してきているらしい綱吉の背は、来た当初より余程逞しくなっている。そこに仄かなランボへの優越感を感じながら、綱吉の背中を柔らかく叩いた。 「・・・・いいぞ。今回の件は、あのアホ牛が悪ィ」 「っでもっ!お前は、淋しかっただろ!?」 馬鹿なことを、と返してやろうかと思ったが、喉につっかえて言えない。それから何度も言おうとしたが頭の中で回るばかりで、気づけば小さく頷いていた。 それから、綱吉はランボをまず呼び、叱った。リボーンの時の激昂とはほど遠かったが、しかし弱虫のランボにはなかなか耐え難いものだったようで、また泣き出してしまった。今度は、奈々が出てきて、ランボは奈々にしがみつく。奈々はあらあらと困ったように笑いながら、ランボを抱き上げた。 奈々と共に出てきたのはサラダだった。大きなバチに盛ってあり、自分で取ってね、と奈々が笑う。 「リボーン、ごめんね」 綱吉がしゅんと項垂れながらリボーンの皿にサラダをよそう。リボーンはいいぞ、と言って、綱吉から手渡された皿を自分の前に置いた。 「また、後で勉強よろしくね。先生」 手を合わせながら微笑んでそういう生徒に、リボーンは上機嫌でああ、と言った。 |