視界が闇に染まり、音も、鼻孔へ届いていた血の臭いも、何もかもが遮断された。
六道骸は愛する者の両腕へ体を預けるようにして、死んだ。





幽鬼な果実



瞼をゆっくりと上げると、真っ黒な空がすぐそこにあるように見えた。骸はしばらく漆黒の闇を見つめ、のろのろと起き上がった。さきほどあれだけ響いていた痛みは感じない。血まみれのシャツが、愛する者を連想させた。あれほど人を殺めることへ背いていたボンゴレ――綱吉が、血を浴びながら銃をかまえている、そんな姿を自身の紅く染まった衣類は連想させた。
「ここは・・・」
辺りを見回すと、生気のない大木が地でやっと支えられて生きていた。ふらつく足に鞭打って立ち上がり、大木に向かって足を進めた。灰のような地面がポスン、と気のない音を出す。歩いても歩いても近付くことのできない大木に苛つき、自分の無力さを恥じた。知らぬ地にきただけでここまで動揺するとは。
元のように灰の土に横たわる。もう歩く力はなかった。骸は乾いた手の中の血を見つめ、その手を力なくおろした。
――ここはどこだ。なぜ、こんなところにいる。確かに死を感じた。体から魂が抜け出るのを感じた。それに答えるように、骸の50メートルほど後方にすえるように立っている大木から高い声が返ってきた。
「ここは幽界、命を失った者が来るべき場所」
急に降ってきた言葉に反応し、骸は上半身を起こした。
大木の葉が大きく揺れだす。何枚か葉が落ち、人間のような足が1本覗いた。ほっそりとした足は独特の艶やかさをもっていた。見ただけで紅潮してしまうような耽美な足だ。
突如現れた片足を訝しげに凝視して、骸はなけなしに近い体力をふりしぼり、立ち上がった。
「誰です、大木に潜んでいるのは」
返事はない。片足が小さく動いただけだ。か細くなった声がする。
「我は有権者。この幽界の権限を握っているただ1人の者」
足しか見せずに言われても説得力に欠ける。骸はそっと大木に近付いた。さきほどよりは簡単に近づける。大木は近くで見ると、迫力が違った。そびえたつ幹はどろりとした茶色だが、どこか美しいと思わせるものがあった。骸は幹にもたれるように片手をそえた。葉がひら、と落ちてきた。
顔を上げると白く長いローブのようなものからのぞく足が見えた。上半身は茶色の葉に包まれている。
「顔を見せていただきたいんですが」
呼びかけると足は白湯に揺れだした。
「汝、名は?」
まるっきり骸の望みを無視し、声の主は逆にきき返した。骸は溜息を吐くと、低く安定した声で言い返した。
「人に名のれと言う前に自分から名のるのが礼儀じゃないですか」
「生意気な人の子だ。我に名はない」
「答えになってませんが、まあいいでしょう」
「汝、名を言え」
「六道骸」
骸が名のると声の主はしばらくじっと身動きせず、突如激しく動き始めた。
「もしかして・・・貴方は降りられないのですか」
びくりと足が力をこめた。気のせいか少し赤くなっている。
「そ、そそ、そんなことはない、はさまってしまっただけだ!」
片足が大きく揺れる。その動きが反論しているようで可愛らしい。骸は含み笑いをもらして、腕を組んだ。確かに声の主は降りられないのだ。どう助けよう。
――ここでは多分、六道輪廻は使えない。
幽界で六道輪廻は通用するとは思えなかった。今までのパターンとは違う場所だ。
ひとまず手近な石を拾い、足の近くの枝へ投げる。
「あぶ、危ないだろうが」
足が骸に向けられる。なめらかな肌の上に澪が伝う。さきほどまで闇に呑まれていた空に、いつのまにか暗雲が広がっていた。足が葉の中へひっこむ。骸の眼(まなこ)が上から落ちてくる物体をとらえた。幹に張りつくように背をつける。危険物が落ちてきている気がした。ズドンとにぶい音をたてて骸の目の前へ黒い物体が落ちてきた。それは所々くぼんでおり、50センチ程度の岩だった。それが灰色の雨粒とともに次々と落下してくる。骸は一番近くに落下してきた岩を引きずり、大木の下へ運んだ。しげしげと観察し、骸は両目を見開いた。
それは人だった。黒で解りにくかったが、それは確かに人だった。いや、人だったものだった。
吐き気を感じ、骸は口元をおさえた。口元にあてた手が小刻みに震えている。
「驚いたか?それはかつて下で暮らしていた者だろう」
下というのは人間界のことだろう。骸はいつのまにかおりてきていた声の主へ顔を向けた。足元から少しずつ目線を上げていく。ほっそりとした白い足、純白のローブ、足と同様の腕、くっきりと浮き出た鎖骨、うすく動脈の浮き出ている首、そして、そして――。
「ボンゴレ・・・?」
綱吉とうり二つの顔。
「なぜこんなところへいるのです、ボンゴレ」
声の主はきょとんとし、骸へ近付いた。揺れる蜂蜜色の髪も表情もまったく同じだ。
「ボンゴレとは、何のことだ」
高い声がすねたように言葉を届ける。
「貴方はボンゴレ、いえ、沢田綱吉じゃないんですか?」
震える声でたずねると、声の主は目だけで笑った。そしてくるりと一回転した。ローブのすそがふんわりなびく。
「我に名はないと言っただろう」
骸に背を向けて声の主はだが、と続けた。
「下の人間の中に似た者がいるかもしれぬ」
「似た者・・・?」
骸がつぶやくと、声の主は相槌をうなずくようにうなずいた。振り返り、骸の視線を正面から受け止めた。
「地上の何人かは我を元に創ってある。アダムというのがおっただろう。そいつが今幽界で一番の長、ここを支配している者。アダムによって我は縛られ、ここを去ることができん。アダムは千年に一度の割合で我に似た人間を創る」
「何のために、貴方に似た人間を?」
「分からん。楽しいんじゃないのか、魂創りが。皮肉なことに我には魂がないがな」
確かに綱吉はこんな話し方をしないし、声も声の主よりは低い。骸は微かに息を吸った。目の前の現実をのみこむことができない。分かったことは、自分が死んだことだけだ。そして、ここが幽界だということ。
「我はこの人間だったものを片付けなければならん」
「この人たちは何故、こんな姿にされたんです」
声の主は鼻で笑うと黒い物体を足で転がした。細い足のどこにそんな力があるのか、軽く先にふれただけで、それはいとも簡単に転がった。
「こいつらは下界で罪なき者を殺め、アダムの所へ送られ、アダムに選ばれなかった不幸な魂だ」
「アダムは魂を選別するのですか」
「ああ。アダムは気に入った魂はその魂のままここへ送る。だが選ばれし者は厄介なものを背負うことになる」
足元の物体を無表情で見下ろし、声の主は片手で表面をなでた。物体が消え去る。その様子を見ていた骸に戦慄が走った。体に電気が走るような感覚に心臓が暴れた。
「まさか」
「そのまさかさ。骸、汝はアダムに選ばれた、選ばれし者、だ」
そう言い放った声の主は、冷え冷えとした瞳で骸を包みこんだ。










続くかもしれないです。
07 10 20 きなこ