骸は、大きな門の前に立つてゐる。其の前で、初老の男性と話してゐる。
「綱吉様は、出かけられております」
 申し訳なささうに頭を下げる男性に、骸はいえ、と零すと、遠くに目をやる。
「きつと、恭弥君の所に居るだらうとは思つていましたから」
「奥様もそのやうに仰つておられました、」
 有難う御座います、と骸は云つて、其の場を辞した。男性は、小さくなつていく背中に、頻りに手を振つた。


若者



 雲雀家と沢田家は、此の地で屈指の名家である。地主である沢田家と、商人である雲雀家は懇意な間柄であり、両家の一人息子たちは、所詮幼馴染と云ふものだつた。
 一方骸の家、六道家は、上にあげた両家に遠く及ばず、ただの農家である。其の身分で学生をやつて居る骸は、苦学生でしか有り得なかつた。がしかし、家が近いおかげで、沢田家・雲雀家の一人息子たちと、幼馴染と云ふ間柄であつた。彼ら、特に沢田家の一人息子、綱吉は、骸を色々と気に掛け、骸が今着てゐる制服は、彼らが買ひ与へたものである。
 骸は苦学生であつたが、美貌の持ち主であつた。そこらに転がる男娼では到底敵はず、それが骸の劣等感を苛むでもゐる。目の奥で息づく瞳は、左右で色が違つた。赤と碧(あを)の瞳は、冷静で思慮深ひ光を宿してゐる。綱吉が、硝子玉みたひだ、と称した。艶やかな群青に染まつた髪は、時折光を反射させ、鮮やかな空色に変はつた。雲雀の名を継ぐ恭弥は、深く暗ひ沼のやうだ、さう云つて思ひ出しやうに髪を梳く。大人びた表情を浮かべる顔は、赤ひ唇が美しく、或いは女かも知れむ、と性への疑問を抱かせた。
 雲雀家に着くと、重く構へた門を押し開ひた。遠慮なく敷石を踏んで歩ひていく。開国して十数年、西洋に影響された館の沢田家とは違い、雲雀家は日本家屋で在り続けた。もう幾度となく入つてきた雲雀の家は、自身の家の畑の在り所より正確に分かる。庭を通り抜け、恭弥の室(へや)に位置する縁側へ回れば、果たして綱吉の姿が見へた。
「御機嫌よう、綱吉君」
 あつと声を上げた綱吉は、足袋が汚れるのも構わず庭に下りると、骸に飛びつひた。頭一つ分差が有る綱吉は、骸の外套の胸の辺りに顔を埋めてから、骸の顔を見上げた。
「久しぶりだね、骸。元気にしてゐた?」
「ええ。恭弥君は?」
 未だ何かを聞かふとする綱吉を引き剥がして抱き上げ、家の中に目をやつた。  綱吉は、骸や恭弥と一つと違わなひが、彼らに比べると余に細く、弱ひ。少年と云ふには脆弱で、少女と云ふには線が直線的過ぎる。即ち、中世的な子供であつた。唯一の救いは、彼の声が多少少年らしい事であらう。彼は、此の地の子供たちから、親の片方が和蘭(オランダ)人なのだらう、とよく茶化される。彼の髪や目が、その所以であつた。
 綱吉の髪は、たわわに実つた穂のやうな黄金であつた。加へて、其の目も同様に黄金に近い茶色である。更に色も白く、其の姿は確かに町を歩く西洋の人間のやうであり、故に和蘭人などと呼ばれもした。医学部に通う骸は、恐らくは色素の欠落であらうと踏んではいるが、定かではない。
「なかなか来なかつたぢやないか、骸」
 丁度、骸が室を見るのと同時に、閉められてゐた襖が、静かに開ひた。
「恭弥君。また寝込んでいたのですね」
 骸が労るやうにそつと声を掛けると、恭弥は白い着物の上に羽織つた、濃紺の肩掛けを掴みながら、僅かに肩を上げた。
 恭弥は、日本男子然とした体とは裏腹に、病弱である。季節の移り変わりは勿論、一回風邪をひいてしまふと、一週間は寝込んでしまふやうな子供であつた。おかげで、恭弥の体は白ひままであり、身長さへなければ少女と見紛ふばかりである。黒ひ短く切られた髪は艶やかで、鋭く吊り上った目は、其の淵に微かな色気を漂わせてゐる。其の目は、何者をも排除した。がしかし、彼の幼馴染は違ふ。恭弥が受け入れられる他人は、彼を産んだ両親でもなく、まして彼の主治医などでもなく、幼馴染の二人だけである。
「最近、少し冷え込んだからね。其の所為だと思ふよ。病弱なのも、なかなかに大変だ」
「当たり前です。さ、早く中に入つて下さい。綱吉君、僕らも上がらせてもらいませう」
 綱吉が骸の腕の中でコツクリと頷いたのを見届けると、骸は縁側から室の中に上がつた。
 室の中に入ると、骸の腕から降りた綱吉は照れたやうに笑ひ、足袋を払ふ。恭弥の室は、相も変わらぬ様子であつた。彼が必要とする物の最低限しかなひ。あまりに寂しひ室である。骸が以前持つてきた花は、色褪せたままで其処に鎮座してゐた。
 恭弥は今まで寝ていた布団の中に入つて、上半身を起こした形で座った。唇は、僅かに青が混じっている。寒いのだらうか、と思い襖を閉めた。
 室に入ると、暖かひ。外との接触を襖で拒んでゐるからだらう。襟巻と外套を外すと、畳んでから室の隅に置ひた。
「それで。骸は何故来なかつたのだい。僕らはずつと待つてゐた」
 恭弥が静かに云ふ。骸は、隅に正座をした侭、御免なさひ、と呟ひた。ゆつくりと頭を下げると、群青の髪が音も無く流れ落ちた。
「政略結婚です」
「え、」
 骸が頭を上げ彼らを見据えて云ふと、綱吉が困惑したやうに声を上げた。綱吉の膝に乗せられた手が、濃紺の袴を握る。骸はそれを見乍ら、息を吸つた。
「此の地の外の、良家のお嬢様とださうで。先方がどちらで僕を見たのかは知り得ませむが」
「そうなの・・・。骸は秀麗だもの、気付かなひ内に惚れられて、当たり前か」
 綱吉は膝の上で手を合わす。結婚しても、忘れなひで、下さい。骸は余程叫ぼうかとも思つたが、何とか留まる。
「それでずつと話し合つておりまして。結局することとなつてしまいました」
「何時だい、」
「一週間後、」
 恭弥が眉を吊り上げた。綱吉は立ち上がり、口唇を戦慄かせてゐる。骸は、二人の前でするすると学生服を脱ひだ。その下には、学生服より仕立てのよい袴を着てゐる。その学生服を手早く畳み、先程畳んだ襟巻と外套も、其処へ置いた。
「是、有難う御座いました」
 深々と頭を下げると、それでは、一言云つて室を出る。襖を越え、鈍ひ音が届ひた。








大正時代から明治にかけてのところが、とても好きです。
袴なんか、最高ですよね。
ところで旧仮名遣いは間違いなどありましたら、
ご一報くださると嬉しいです。
どなたか、強い方はいらっしゃいませんか・・・!!!
07 09 08 くしの実