邂逅
その日、俺とKAITOさんが会ったのは、かなり高確率の偶然だった。俺のマスターと妹さんの住む場所が結構離れている所為もあるし、妹さんがKAITOさんを滅多に外出させない所為もある。 ちょうど日曜で、学校がないマスターが、俺と兄さんをショッピングセンターに連れて行くと言い出した。もう既に車のキーをとったマスターは、中にいるリンたちに声を掛ける。 「メイコー、俺男組み連れて、買い物行ってくるわー。留守番よろしくー」 「分かりました。留守番頼むからには、お土産、買ってきて下さいね」 見送るために玄関まで出てきた姉さんの、抜け目ない台詞に、マスターは了解、という意で肩を竦めた。 珍しい事もあるものだ。いつも買い物に行くとき連れて行くのは、兄さんや姉さん年長組だったり、リンたち女組だったりして、俺と兄さんとマスターの、男三人組で行くのは初めてだ。だからなのか分からないが、兄さんは嬉しいのやらつまらないのやらが綯い交ぜになった複雑な顔で、俺を見つめていた。 「・・・マスター、僕と二人きりじゃ駄目なんですか」 語尾を上げるような語調で呟いた兄さんにマスターは苦笑を向けると、青い髪を撫でた。俺も、兄さんやマスターの当て馬にされるつもりはないので、本当は御免被りたかった。今の状況だって、そうだ。だが、マスターが有無を言わせず俺を引っ張ってきたんだから、仕方ないだろう。 マスターが運転するワゴン車の中は、カーステレオから流れる音楽以外、全くの無音である。助手席に座る兄さんは、運転するマスターの横顔をじっ、と見つめるばかりで、何も話しかけない。マスターも注視されていることに気付かず―或いは気付かないフリ、だ。マスターは意地が悪いから。―、黙ってハンドルを切っている。 後部座席で寝転がっている俺も、何の言葉も発しなかった。二人の間に、俺なんていらないからだ。もしかしたら本当に、マスターは嫌がらせで俺を連れてきたのかもしれなかった。 暫くして、車は目的地へと着いた。マスターは手馴れた動作でキーを抜き取り、後部座席で寝転ぶ俺を見てくる。視界の端で、兄さんが車から降りるのを見ながら、俺は起き上がった。 「レン、行くだろ?」 いくら人間じゃないたって、お前らデリケートだからなぁ、とマスターは頭を掻く。確かに人間じゃないとはいえ、だからこそ温度の上がる車内に放っとかれるのはいただけない。多分、ハードの身体がショートしてしまうだろう。それに、残っていては、何のために同行したのだ。 緩慢な仕草で車内から出ると、マスターはロックをかけた。既に車外に出ていた兄さんが、自然な様子でマスターの隣へと並ぶ。その際、ちらり、と俺を見やって、来るなよ、と口を動かした。頼まれなくても、二人と並ぶつもりなど毛頭ない。 ショッピングセンターは三階まであって、どちらかというとモールに近い物だ。コの字型の建物には、ちょうど空白の場所に休憩の場がある。築山を囲むように配置されたベンチは、人の姿が絶えることが無い。俺も、何度かそこで昼食を食べた。 その事を思い出し、マスターに声を掛けた。マスター、と呼ぶと、兄さんとマスターが同時に振り向く。二人で談笑していたのを邪魔した俺に、兄さんは物言いたげな瞳を向けてきた。これからあんたのためにいなくなるってのに、と悪態の一つでも吐きたくなったが、喉まで出掛かった言葉を必死に飲み込む。 「俺、広場のベンチで待っとくよ。二人で買い物に行ってきてくれて、全然構わないから」 俺の言葉に対する両人の反応は、丸っきり反対だった。驚きに目を見開き、喜びの声を上げまいと口を押さえる兄さんに対し、マスターは眉根を寄せた思案げな表情である。マスターの了解を待つ俺と、隣に立つ兄さんを見比べた後、マスターは呻った。 「んー・・・心配だな。まだお前達みたいなボーカロイド、珍しい代物だしな。盗難届けをだすことになったりしたら・・・」 マスターの反論に、兄さんは酷くショックを受けた顔をした後、視線だけで俺に訴えかけてくる。レン、何とかしてよ!飽くまで他力本願の姿勢は崩さないらしい。 俺はその兄さんの情けない顔を見ながら、小さく溜息を吐いて満面の笑みをマスターに向けた。 「大丈夫だってば。心配しすぎだよ。俺は平気だよ。まぁ、人間は傷つけられないけどさ、」 悪戯っぽく笑んで吐いた言葉に、マスターはキョトン、としてから、ふっ、と微苦笑を浮かべた。その顔を見ていた兄さんは、ぱぁっ、と顔を喜色に染めた。どうやら、うまくいったようだ。 マスターは俺に再三注意するように、と言って、兄さんと並んで店の中へと入っていった。ニ人に手を振ってから、俺は広場へと向かう。向かう途中で、何組もの親子と擦れ違った。 そして、俺はKAITOさんと出会ったのだ。 KAITOさんはベンチに浅く腰掛けて、何処かに視線を飛ばしている。その周りには、いなくてはならない筈の彼女がおらず、俺はちょっと驚きを覚えた。 ちょっとだけ驚かせてみよう。唐突にそう思い立った俺は、KAITOさんの後ろからそっと忍び寄った。KAITOさんは俺の気配に気付く様子は微塵もなく、柔らかい青の髪を風にそよがせている。純粋に、綺麗だなぁ、と思った。 そっ、と肩に手を置いた。KAITOさんは特に驚いた風もなく俺を振り返り、俺の顔を見て口を薄く開く。その唇が色っぽくて、俺はドキっとした。 「レン、君...ですよ、ね。あれ?」 戸惑ったようなKAITOさんは、辺りをキョロキョロと見回して、やっぱり不思議に思ったらしい。首を小さく傾げて、呻っている。青い髪がサラサラと流れ落ち、思わず見惚れ、我に返った。何だか、自分が変態のような気がしてしまう。 俺は大きく頭を振って、KAITOさんの隣に座ってもいいか、お伺いを立てることにした。KAITOさんは頼りなさげな弱い笑いで、快く承知してくれた。 しぃん、と沈黙が降り、風が静かに吹いている。でも、全く嫌な沈黙ではなかった。寧ろ、とても心地良いのだ。 「そういえば、妹さん...楓さんはどうしたんですか?」 沈黙を破って、こちらから話し掛けてみた。KAITOさんはまた首を傾げて、お手洗いに、と小さな声で答えた。成程、確かにそういう理由でなければ、妹さんがKAITOさんから目を離すわけがない。俺は納得して、頷いた。 「レン君、は?お兄さんはどうしたんですか?」 KAITOさんは俺を見ながら問う。胸の高鳴りを感じながら、俺は返答した。 「兄さんと一緒に、中で買い物してます」 「カイトさんと?...何でレン君は行かなかったんです?」 まさか二人の仲を邪魔しないように、などと言えるわけもなく、俺は苦笑した。それで何となくの事情は察してくれたらしく、あぁ、と彼も苦笑する。思わず吹き出した俺につられたのか、KAITOさんも控え目な笑い声を立てた。 うちの兄さんに比べ、KAITOさんはやっぱり麗しい。優しい、綺麗、それでもいいが、麗しい、だとか、普段使わないような単語を使ってしまいたくなる。まずそもそも、この素晴らしいKAITOさんを、うちのバカな兄と比べるのが間違っているのだ。心の中でKAITOさんに謝ってから、俺はベンチに背中を預けた。 暫く二人で黙したまま、風景を眺めていたが、KAITOさんを呼ぶ女性の声が聞こえてきた。妹さんがKAITOさんを迎えに来たのだろう。声がした方に顔を向けると、後ろにマスターと兄さんの姿もあった。もう二人で和む時間は終わりらしい。 KAITOさんはマスター、と一瞬で顔を輝かせ、ベンチから立ち上がった。俺もそれに倣い、立ち上がる。俺には見せない、KAITOさんの輝くような笑顔を見られる妹さんが、少し、どころかかなり妬ましい。 俺がどうしても妬んでしまう妹さんは、心配そうな、それでいてほっとした顔でKAITOさんに駆け寄ってきた。KAITOさんも彼女に駆け寄っていく。仲睦まじい、恋人のような二人に、胸が苦しくなる。ボーカロイドはマスターが絶対なのだから、仕方がないといえば仕方ないのだが、それでもやっぱり悔しい。悔しいし、ちょっとだけ悲しい。棒立ちして二人を静観する俺に、マスターと兄さんが近付いてきた。 「レン、KAITOと話したか?」 マスターがニコニコと笑いながら聞いてくる。俺は首肯した後、KAITOさんを見やった。妹さんと楽しそうに話している。 「マスター、早く帰ろう」 俺がそう言いながら袖を引っ張って駐車場に向かうと、俺の唐突な行動にマスターは驚いたようだったが、妹さんに手を振って動き始めた。多分、KAITOさんも手を振ってるんだろうが、振り返って手を振る事はしない。 動き出したワゴン車は、やっぱり静かだった。 |