日曜のドライブ




 日曜日のその日は、珍しく快晴だった。青く澄み渡った空が、どこまでも広がっているような錯覚さえ起こしそうだ。
 KAITOは秋吾の隣で、初めて見た移ろう景色に目を奪われていた。日が強いものの、街路樹でその大半は遮られ、遮られなかった光だけが、ちらちらとKAITOの上で踊っている。
 黙したまま、外の景色を噛り付くように見ているKAITOに、秋吾は笑いを含んだ声を掛けた。
「どうだ、KAITO。初めて見る、いつもとは違う景色は」
「・・・・すごいです。こんなにいろんな人や車、物があるなんて、実際に見たことはなかったので・・・」
 それもそうだ、と秋吾は頷き、ハンドルを右に切った。




 秋吾と彼のボーカロイドたちが、楓の家に訪れたのは、随分久しい。また今回も、アポ無しで彼らはやって来た。突然開かれた玄関の音に、和やかな空気でお茶を飲んでいたKAITOと楓は、二人で肩を跳ねさせた。誰だ、と緊張で体を強張らせた二人は、息を潜めて玄関からの音を聞き漏らすまいと、耳を済ませる。何の事は無い、よく見知った者たちの声が聞こえた。
 こんにちはー。楓さんいらっしゃいますかってあっ、ちょっとミク、勝手に上がらないの。KAITOさんいるー?レンほら早く早く。うるさいなー、すぐ行くよー。
 にぎやかな声で二人の体は途端弛緩し、楓は苦笑をKAITOに向けると、玄関へと掛けていく。待ってて、と言い残されたKAITOは、カップだけを片付ける為に立ち上がった。ふと思いついて、頬を触ってみると、うっすらと笑んでいるように頬が丸みを帯びている。カップを流し台に置き、水を流すと、その水音の合間に玄関から楓の声が聞こえてきた。
 皆いらっしゃーい、すっごくビックリした。楓さん、ごめんなさい、ミクたちが言う事を聞かなくて。気にしなくていいよー、連絡しなかったバカ兄貴が悪いもん。だあれがバカだおい。マッマスター、僕を置いていかないでくださいよー。誰って、だからお兄ちゃんが。そうですよマスター、いくら妹さんの家でもちゃんとアポしないとダメですよ。うっうるさいメイコ。ねー、KAITOさんはぁ。楓ちゃん、KAITOさんはどこー。こっ、こらミクリン、楓ちゃんなんて呼び方、いいよいいよメイコちゃん、KAITOは中で待ってるよー。お邪魔します。お邪魔しまーす。
 暫くの間、楓たちは玄関で談笑していたが、すぐに部屋へと上がってきた。KAITOは慌てて水を止め、台所から人でいっぱいいっぱいのリビングへと戻る。小さいアパートの部屋には、少し多いぐらいの人数だ。ちょうど、一番最初に入ってきたリン・ミクと目が合い、はにかみながら、いらっしゃいませ、と頭を下げた。
「わーKAITOさんだー!こんにちはー!!」
 リンはKAITOと目が合うと、顔を一瞬にして輝かせ、KAITOに飛びついてきた。それを見たミクが、あっリンちゃんずるい、と叫び、私もとばかりにKAITOに飛びついてくる。リンに飛びつかれバランスを崩したKAITOは、さらにミクにまで飛びつかれ、遂には後ろに倒れてしまった。その際、頭を強かに打ちつけ、目の前で火花が散る。
「KAITOさん、元気にしてましたか?」
「は、はい・・・・。あの、できれば退いてもらえると有難いんですが」
 KAITOがか細い声でそう言うと、リンとミクは顔を見合わせ、慌ててKAITOの腹の上から退いた。そしてごめんなさい、大丈夫ですか、と泣きそうな顔で訊ねながら、KATOの腋に両側から手を入れて、立ち上がらせた。ちょっとくすぐったいが、我慢してはい、と頷く。
「もう、またぁ?リン・ミク、あんたたちはちょっとは落ち着く、って言葉を覚えなさいな
」 「うー、反論できません・・・・」
 反省の色を見せる二人に、KAITOは気にしないで下さい、と慌てて微苦笑を向けた。二人に説教したメイコに目をやると、頭を下げられた。大きく頭を振り返す。
 楓とカイトを従えた秋吾が部屋に入ってくると、今度はミクとリンは楓へと向かった。二人とも再び飛びつくが、今度は少し控えめだ。楓は満面の笑みで、二人をしっかりと受け止めた。
 リンとミク、メイコ、楓の女衆は、レンをひっ捕まえると五人で盛り上がる事にしたようだ。中央に据えられたローテーブルに、彼女達は腰を下ろした。KAITOには、よく分からない話で盛り上がっている。それはレンも同じようで、ぶすっと頬を膨らませたまま、リンの後ろで待機していた。
 とすると、残るは二体のKAITOと秋吾だけだ。秋吾が所有するカイトは、じっとKAITOを見てくる。居心地が悪くて、KAITOは身を竦めた。秋吾は持参したPCで、ネットをしている。
「カーイトっ」
 二人で見合っていると、楓の声が掛かった。久々に他のボーカロイドと話が出来たせいか、その声は楽しそうに弾んでいる。KAITOは、もう一人の自分から目を逸らす意味も含めて楓を見上げた。が、
「あっ、違う違う。KAITOじゃなくて、お兄ちゃん家のカイト」
と慌てて言われ、KAITOはえ、と口を半開きにして、目前のカイトを見つめた。同じように、少しポカンとしている。楓は少しバツが悪そうに、肩を竦めて笑った。
「ごめんね。でも、リンちゃんたちとは話した事が何度もあっても、カイトと話した事は無かったなー、って思ったら、話したくなってさ。あは、本当ごめんね」
 二人揃ってはぁ、と気の抜けた返事をした。その返事を聞いて、楓はよし、と満面の笑みを浮かべると、カイトの手を握って、リンやミクたちの所に引っ張っていってしまった。小さな部屋に皆で入っているのだから、別にKAITOがいたところで何ら問題はないのだが、何となく輪の中に入って行きづらい。KAITOは、一人部屋の隅で、もぞりと腰を浮かせた。
 暫く、一人きりでリンやミクたちの賑やかな様子を見ていたが、とんとん、と肩を叩かれた。顔を上げると、秋吾がにっこりと笑ってKAITOを見下ろしている。さすが兄妹だけあって、笑い方がそっくりだ。
「暇そうだなぁ、KAITO」
「はい、とても暇です。何をしたらいいんでしょうか・・・・」
 KAITOが困った声をだすと、秋吾はくくく、と喉の奥で笑って、KAITOの頭を撫でた。わざとKATIOの髪を乱すような撫で方だ。手を離され、やはり乱れていた頭髪を手ぐしで直す。髪を梳くKAITOは気にせず、秋吾はKAITOに顔を寄せた。そのまま耳元で囁かれる。
「二人でこっそり、ドライブ行こうか」
 思わず、え、と声を上げると、口に手を当てられてしまった。秋吾が苦笑して、一本指を立てる。
「先に外出とけ。で、玄関出た所で待ってろ。すぐに俺も出てくるから」
「何でバラバラに出るんですか?」
 秋吾につられて、KAITOも小さな声で尋ねる。満面の笑みとともに返された言葉はこうだった。
「バレるから」




 言われたとおり、こっそりと玄関口へ向かう。見つからないだろうか、とひやひやしたが、トイレが直ぐ近くにあるからか怪しまれる事無く、無事に外に出られた。緊張し、強張った身体を解す為ストレッチをしていると、静かに扉が開かれ、中から秋吾が出てくる。古い扉で、しょっちゅう軋んだ音を立て、KAITOも先程肝を冷やされたばかりだったが、秋吾は難なく音も立てず出てきた。
「・・・・お上手ですね」
「は?何が?」
 いえ、別に、と首を振ると、変なの、と笑われた。KAITOも思わず笑みを零してしまう。
 一頻り笑いあって落ち着くと、お互い顔を見合わせた。
「さて、行くとすっかね」
 秋吾は指に車のキーをぶら下げて、小さな声でKAITOに言った。
 そして、現在に至るのである。
 キーを握ってからの、秋吾の行動はとても早かった。車の鍵を手早く外し、KAITOを助手席へと押し込む。鼻歌を歌い、非常に楽しそうな秋吾に、KAITOはおずおずと声を掛けた。
「あの、お兄さん・・・・」
「んーなんだ?」
「心配、しないでしょうか」
 秋吾がエンジンをかけ、小さいKAITOの声は掻き消される。無事にエンジンがかかり、改めて彼はKAITOの顔を見た。
「何て言った?ごめん、エンジンで聞こえなかった」
「え、あ、はい。あの・・・心配しないでしょうか」
 秋吾は少しキョトンとして、それからふっ、と微笑んだ。笑顔に自身のマスターの顔を重ね、心臓が跳ねる。秋吾は顔を前に戻すと、アクセルを踏んだ。
「心配すんなって。だいじょーぶ、ちゃんと置手紙してきたよ」
 彼はそういうと、ハンドルから片手を放し、KAITOの頭を撫でた。安心させるような、柔らかな撫で方だ。その手と置手紙に安心して、KAITOは微笑を浮かべた。
 ところで、KAITOが車に乗るのは初めての事である。まずそもそも、楓の家から出た事が初めてだ。知識では、確かに外の風景というものを認識していた。車も同様、認識してはいた。しかし、実際に自身の目で見たのは初めてで、KAITOは目を奪われる。
 言葉もなく、窓に張り付いて流れる景色を見るKAITOに、ちら、とその様子を見た秋吾は苦笑した。KAITOの様子が、幼い子供のそれと何ら変わらなかったからである。
 数分も走ると、高台にある住宅地に出た。もともと、都市部に住む秋吾とは違い、楓は少し古くなったニュータウンに住んでいる。そのため、楓が借りているアパートから少しも行けば、住宅や小学校が密集するところに出るのである。都市部に住む秋吾の付近は、マンションや企業のビルで溢れており、それらを見慣れた彼にとっては、何とも懐かしい気持ちになる風景だ。
 両脇に流れる緑の街路樹が、わずかばかり目に眩しい。真っ向にフロントガラスから入ってくる陽光を避けるため、秋吾は日よけを下ろした。車は信号に捕まり、アイドリングをしながら一時停止をする。すぐに青信号が点滅し始め、さほど待つ事も無く、車の列は動き出した。秋吾もアクセルを動かし、車を走らせた。
 街路樹は、変わらず続く。KAITOを横目で見やると、相も変わらず窓に張り付いている。秋吾は小さく笑み、KAITOに声を掛けた。
「街路樹、面白い?」
 数秒の間をおいて、KAITOははい、と答えた。またそれから数秒程のタイムラグがあり、ようやくKAITOは正面へと顔を戻した。あんまり長い間外を見ていて、首が痛くないのか、と秋吾は思ったが、機械には、あまり関係が無いらしい。
 沈黙が降りていた。二人(一人と一台が正しいだろうか)は、沈黙を保ったまま、車を走らせ続けている。だが、不思議と嫌な気持ちはしない。
「・・・・あ、あの。今日は有難う御座いました」
 木漏れ日が掛かる中、KAITOはふんわり、と笑んだ。設定年齢が二十歳程の男性型アンドロイドに、ふんわりなどと使うものではないが、実際KAITOはそう笑う。秋吾が所有する、同型のカイトは、そういう柔らかい笑い方をする事はないから、きっとKAITOに限った事なのだろうとは思う。
 秋吾はその笑顔を見ただけで、こっそり連れ出した甲斐があるもんだ、と口元を緩ませて、軽く手を振った。
「気にするこたぁねぇよ。どうせ、楓はお前を外に出した事が無いだろうと思ったしな」
 楓は、KAITOに対して異常な程、過保護だ。街中には同型のカイトや、新型のリン・レンなどを連れ、歩く人もちらほら見かけるのだが、どうにも楓は外出させたくないらしい。ウチは外のウチとは違うし、あたしにはあたしの考えがある、と彼女は言う。さらに、
「どうも、うちのKAITOは何か抜けてるからさ、外に出したら、あたしと一緒に居ても、事件に遭いそうで怖いんだよね」
 旧型で男型アンドロイドでも、KAITO高かったし。楓がいつかそのような事をぼやいていた。秋吾が初めて、ボーカロイド達を外に出した頃の話である。
 仕方がないと言えばそうだろう。自身の車を持たない楓が、KAITOを遠くに連れて行くには、どうしたって公共の乗り物を使わなければいけない。その点では、確かに不用心に外に連れ出すのは、得策ではないだろう。
「で、でも。・・・・マスターに、後で怒られるかも・・・・しれませんし」
 お兄さんが、と付け加え、肩を竦める。秋吾はそのKAITOの肩を、豪快に笑いながら叩いた。
「お前心配症だなー!大丈夫だって」
 明るく笑う秋吾につられて、KAITOも笑んだ。




 あまり遠く行きすぎても、帰ってくるのに時間が掛かる。二人を乗せた車は、ある程度の所まで来ると引き返し、楓の家へと向かった。楓のアパートの駐車場につくと、ドライブを始めてから三十分程経っていた。
「あっ、KAITOさんだー!!」
 車から降りたときに、ミクの高い声が聞こえた。思わず肩が跳ね、声がした方に顔を向けると、窓から顔を出して大きく手を振っているミクが見えた。慌しくリンも出てきて、ひゅっ、と窓から顔を出す。KAITOが戸惑いながら手を振ると、二人は途端色めきだって尚更大きく手を振った。二人は顔を見合わせて、中に入っていく。
「楓ちゃーん!」
 余程大きな声だったのか、リンとミクが楓を呼ぶ声が聞こえてきた。
「うーん、近所迷惑になりそうな声だな。後で叱っとくか」
と、秋吾は苦笑しながら頭を掻いた。
 楓の部屋の前まで来、玄関のドアを開けると、楓が立っている。リンとミクもその横に立っており、ニコニコと笑っているが、楓は少し引きつったような笑みを浮かべていた。
「お兄ちゃん?」
 掛けられた声が冷え切っている。秋吾の身体が、横で固まるのが分かった。
「勝手にKAITOつれまわしてぇ・・・・。あたしに何か言ってから行ってよね!!それから連れ回すんだったら、自分のカイトを連れ回せっアホッ!」
 KAITOはあたしのなんだからっ、と楓は叫ぶと、秋吾の横に呆然と突っ立っていたKAITOを引っ張り、その腕に抱き締めた。リンとミクがそのKAITOをさらに抱き締める。
「あっ、マスターとKAITOさん!」
 騒ぎを聞きつけたのか、レンとカイトが出てきた。何故今まで出てこなかったのか、多分、秋吾と顔を合わすのが嫌だったのだろう。二人共だ。
「マスター、勝手にKAITOさん連れ出すなよ!俺がKAITOさんと話そうと思ってたのに!!」
「そうですよマスター!そのKAITO連れてくぐらいだったら、僕をつれてってくださいよー!!」
 レンとカイトはぎゃあぎゃあと喚きながら、楓達を押しのけて秋吾に近づいた。秋吾は驚いて、二人をぐっと押した。
「ばっ、ばかっ、ドアで頭打つっ!」
「あー、もういいや、三人ほっといて、先に上がるよ、KAITO」
 楓は三人のやりとりを呆れたように見て、KAITOの頭を撫でた。少し背をかがめてKAITOは頭を差し出し、撫でられた感触に目を細める。楓の柔らかい撫で方が、KAITOはとても好きだったのだ。
 リビングに戻ると、メイコが一人で座っていた。余裕な顔をして、一人お茶を飲んでいる。KAITOを見ると、にっ、と笑って手を上げた。
「お帰りなさい。どうだった?ウチのマスターとのランデヴーは」
「楽しかったですよ。初めて外に出られて、とっても嬉しかったです」
「だ、そうですよ。楓さん」
 後から入ってきた楓に、メイコが話しかける。楓は眉を歪めると、さらに続いて入ってきた秋吾に聞こえるような、大げさな溜息を吐いた。
「あーぁ。やだなー、KAITOの初めて取られちゃった!」
「ま、マスター、初めてって言い方は、どうかと・・・・」
「はっ、口惜しかったか?最初っから意地なんざ張らずに、外出しときゃ良かったのに。可愛かったぞー、KAITO」
 下卑た笑いを浮かべると、楓は憤ったようにちょっと、と声を張り上げた。
「ほんっとーにっ、何もしてないよね!?KAITO、何も、されてないよね!?」
 楓がKAITOの肩を揺する。KAITOは慌てて首を振った。勿論何をされた訳でもなく、ただ外に出してもらっただけだ。
 幸せな気分だった。初めて外に出て、いろいろな物を自身の目で見て、全てが初めての事だらけだ。
「マスター、あの・・・。何も、されてませんから。あの、本当に楽しかったです。から、お兄さんを、怒らないであげてください」
 へらっ、と笑むと、楓は肩を落とし、頭を掻いた。本人が楽しそうなのだから、何も言えようが無い。
 複雑な顔をした楓を無視して、秋吾が明るく笑った。
「さってと、今日の目的は済んだ。帰るぞー」
 KAITOを外に連れ出したいがために、今日訪れたらしい。楓は目を丸くして、へぇ、と呟いた。それを聞きつけた秋吾が、身を竦ませる。
「優しいんだ、お兄ちゃん」
 まぁKAITOを苛めるために来たんじゃなかったから許してあげる、と楓はニッ、と口の端を吊り上げた。どこまでも過保護である。
 じゃあな、と残して帰る秋吾達の車を窓から見下ろしながら、KAITOは小さく笑みを浮かべた。早く、PCの電源を切ってもらえたらな、とKAITOは思う。















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