こもりきり
お兄ちゃん、と小さな声で呼ばれ、カイトはふい、と振り返った。リンが立っている。カイトは立ち止まり、少し首を傾げた。 「リン、か、どうしたの?」 いつも快活に笑むリンは、少し沈んだ顔で、カイトを上目に見上げてくる。どことなくいつもとは違う、と感じたカイトは、そこから少し戻ってリンに近づいた。カイトは腰を屈めリンと目線を同じにし、その瞳を覗き込んだ。綺麗な碧の目の中に、カイトの姿が映る。 「あ、あのね、レン、が・・・」 「レン?」 リンの片割れであるレンがおかしいと言う。リンは浮かない顔で小さく頷いて、何でだろう、と呟くとカイトの服を握った。 界とはここ最近のレンの様子を思い出して、少しの間黙り込んだ。確かに、元気が無かったような気がする。 リンはカイトを見ながら、また小さく口を開いた。 「レン、部屋から出てこないの。あたしを部屋に入れてもくれない」 「入れて?」 「うん」 そこで、リンは暫く黙り込み、ミク姉の部屋にいるんだよ、あたし、と言って寂しそうに目を伏せる。その姿は、抱き締めたくなるほど、儚い。しばしカイトは絶句して、大きく頭を振った。 レンのおかしな様子は、一週間程前から顕著になっていた。明るく素直な光を宿したリンの瞳と違い、異様に暗い光を、レンの瞳は宿していた。メイコがこっそりとカイトに相談に来たのも、その頃である。メイコはメイコなりに、レンの変化を心配していたのだろう。深い溜息を吐いていた。唯一レンの変化に気付いていないのは、ミクぐらいのものだ。 「いい、カイト。あんたがレンの相談にのってあげるのよ。じゃないと、レンは誰にも何も話せないじゃない」 女に話すってのを、男は嫌がるものだし、とメイコはカイトを睨みながら呟いた。思わず苦笑する。 カイトはレンが苦手だ。勿論、レンを好きになりたいと思う気持ちは大いにある。あるのだが、レンの一挙手一投足から、カイトを嫌う気持ちがにじみ出ているのだ。カイトはあまり頭が良い訳ではなかったが、そのカイトにも分かる程のもので、カイトは辟易してしまう。 だが、その辟易さえも押しのけて、カイトはレンの話を聞くべきだったのだ。そうカイトは後悔して、唇を強く噛んだ。レンを解ってあげられなかった、己が憎い。 「僕がレンに話を聞いてこようか」 侘びの気持ちも込めて、リンに問い掛けると、リンは一粒涙を零した後、大きく頷いた。そのまま泣き出してしまったリンの頭を、優しく撫でる。 「ごめんよ、リン。リンの事、レンの事も解ってあげられなくて。僕が早く、レンの相談にのってたら・・・・」 そこでカイトは緩く頭を振り、弱い微笑を浮かべた。今更仮定の話をしたところで、一体どうなると言うのだろう。 「とにかく、言ってみるね、リン。待っててくれる?」 「う、うん。・・・・・リンは、あたしは、部屋に入れる、ように、なるよね」 息を詰まらせてそう言うリンが、カイトには弱い生き物のように映る。カイトは再度リンの頭を撫でて、リンとレンの部屋へと向かった。 双子の部屋の前に立つと、ドアの向こうからは何の物音もしない。不気味に静まり返っている。カイトは少し物怖じして体を引いたが、大きく頭を振った。立ち止まっていたところで、仕様が無い。 「・・・・よし、」 カイトは自分に喝を入れ、僅かに躊躇した後ドアをノックした。いつもよりノックの音が小さかったのは、気のせいだと思いたい。 誰からも、というよりはレンからの返答はない。カイトは拍子抜けして、だがすぐに気を取り直すと根気強く待った。向こうから、応答がくる気配は感じられず、焦れたカイトは再度をノックをし直した。先程よりも気楽に出来た。 やはり返事が無い。カイトは再び待ち、また焦れて、もう一度ノックしようと手を上げた。その時、誰、と言う声が不鮮明な音で耳に届いてきた。心持ち、顔を輝かせて、ドアの向こうに話し掛ける。 「カイトだよ。レン、開けてくれないかな」 レンはまた黙り込んでしまい、嫌な沈黙が訪れた。今度こそ辛抱強く、何もせずに反応をただ待つ。 数分ほど経ったのだろうか。不意にドアの傍で人の気配がした。何も出来ずボーッとしていたカイトは、はっ、と我に返り、ドアに柔らかく触れた。向こうから、低い声が聞こえる。 「兄さん、まだいるの」 冷たい声にカイトはぞっとして体を震わせ、情けなくも声の語尾を震わせながら、ドアに触れたままいるよ、と小さく答えた。 「いるよ、レン。ねぇ、開けてくれな、」 そう声を掛けたが、ドアが派手な音を立てたので、身を竦ませた。レンがドアを蹴ったのだろう。 「帰れよ!」 ついで急くように叫ばれた声に、カイトは尚も体を小さくする。やはり、人からの憎悪は、辛い。うるさいんだよ、とレンはドアの外にいるカイトの様も知らず、続けてまくし立てた。 「あんたはいっつも、煩いんだよ。自分がいろんなものに守られて、その庇護を俺にも押し付けようとする。鬱陶しい、」 レンは唐突に弁を止め、低い声で笑った。あまりの言われように、カイトは涙すら出ない。 「兄さん、俺ね、KAITOさんが欲しいよ」 兄さんじゃなくてね、とクスクスと笑う。カイトは、マスターの妹の家に居る、もう一人の自分の姿を思い浮かべた。自分とは対照的な、大人しい彼は、僅かに眉を下げて困ったように笑っている。 兄さんと違って、あの人は大人だもん、と幸せそうにレンは明るい声を上げた。恍惚とした響きが含まれている。 「あの人の事で、最近ずっと悩んでたんだ。でも、兄さんが来て決心したよ」 ピクリ、とカイトの肩が跳ねる。 「KAITOさんには何も言わない。嫌われるのは嫌だしね」 あは、とレンが短い笑い声を上げた。すぐに笑うのを止めると、また最初と同じような低い声でカイトに話し掛けてきた。 「どうせ、リンに何か言われたんだろ、兄さん。安心してよ、もう落ち込んでないから」 ああでも、まだ部屋に入れてやらないけど、とレンは笑いを含んだ声色で付け加え、それっきり無言になった。レン、と呼び掛けてみても反応が無いところを見ると、もういないのだろう。カイトは暫く立ち尽くしていたが、大きな溜息を吐き、来た時と同じ廊下を帰り始めた。 「アイス食べよ・・・」 疲れたような声だけが、その場に響いた。 |