「アイツは、お前を嫌いじゃないと、思うんだけどな」 綱吉は、リボーンの顔を見上げた。顔を上げると、その滑らかな頬を涙が転がっていく。リボーンの輪郭は、光で縁取られている。何を、と思いながら綱吉は真白い包帯に目を向けた。 「(何を、言うんだろう、)」 綱吉の手首から二の腕に亘り、現在進行形で捲かれていく真白い包帯の下には、大きな傷がいくつも出来ていた。その傷は、イタリアに来るときに連れてきたある1人の男の手によってつけられたものだ。もしこの男のことを言っているのだとしたら、それは大きな間違いだろう。そうでなければ、何故彼が綱吉を傷つけるものか。 綱吉は包帯を捲かれている反対の腕を持ち上げて、軽く目を擦った。涙を止める時に目を擦ってはいけない、と言われたのを思い出して、思わず手を離す。リボーンはその綱吉の一部始終の動作を、出窓の所から見下ろしていたが、また窓の外に目を移した。 空は、快晴だ。 傷つけたい衝動の名は 獄寺は、包帯を黙々と綱吉の腕に捲いている。しかし、その顔は何処か苦々しく、なにかを考えているようだ。バッと顔を上げると、その決意を固めたのか、荒々しく言った。 「10代目、やはり雲雀を置いておくのは、俺は賛同しかねます」 「隼人、」 「こんな傷をつけられて・・・・」 獄寺は、優しげな手つきで、そっと自分の捲いた包帯を撫ぜる。その手つきを嫌がるように、綱吉は僅かに身じろぎしたが、全く意に介した様子はない。リボーンは黙ってそのやり取りを聞いているだけで、干渉する様子は見受けられない。 雲雀は、綱吉に会うと自分のトンファーでいつも綱吉を傷つける。どうやら、その行為は一種の癖のようなもののようだが、まだ小さな傷ならばいい。しかし、雲雀がつける傷は、いつも大きく、骨折しそうになったことすらあった。それを幾つも幾つもつけるのだ。 だが、綱吉は雲雀を追放する気配は見せない。しかも、雲雀の攻撃を黙って受ける節もある。獄寺が異議を唱えるのは、至極当然な事だった。 綱吉が、イタリアでドンになって5年。雲雀はその5年間、ずっと綱吉を攻撃し続けている。そして、その傷はいつも獄寺が治療した。綱吉は頑なに治療を拒んだが、攻撃の度合いは年々酷くなり、流石に骨折しそうになってからは、治療を頼んだ。 そして、今に至るのである。 獄寺の言葉に、綱吉は酷く傷ついたような顔で、唇を噛んだ。獄寺は気付いたようだったが、見て見ぬふりをして続ける。 「10代目、これがもっと酷くなって、挙句の果てに殺されてしまったらどうするんです。・・・失礼な言動とは思いますが、10代目1人の問題じゃ、ないんですよ、」 貴方が死ぬというのは、と言うと、綱吉は俯いた。 「分かってる、けど・・・。でも・・・」 言葉を濁した綱吉に、獄寺は小さく溜息をついた。鮮やかな手つきで包帯を捲き終わった獄寺は、救急箱に包帯を戻した。最近、包帯の消費が激しい。この一週間で、2巻は使い終わっていた。 「・・・分かってますよ、貴方が雲雀を好きなのは。奴がムカつきますが、殺したいほどに」 「隼人!」 「大丈夫です、ホントに殺したりしません。貴方の悲しむ顔なんて見たくない」 獄寺が苦笑すると、ほっと綱吉は溜息をついた。だが、獄寺は直ぐに真顔に戻る。 「ですが、それとこれとは別ですよ。10代目。これ以上酷くなるようならば、俺たち守護者が雲雀を排除します」 「ちょっと、待って。隼人、そんな勝手なことは!」 綱吉がヒステリック気味に叫ぶ。 「いいえ、俺たち守護者は貴方を守る為に居る。その為には例え、10代目の恋人だろうが肉親だろうが、抹殺します」 獄寺は、冷静に言った。そんな事、嫌と言うほど分かっている。綱吉は、あまりの正論に何も言い返せず、強く拳を握り、血が出そうになるほどの強さで唇を噛んだ。 獄寺の言ったことは、全て正しい。今まで、恋人が殺されたことなんて何度もあった。愛人に殺されかけて、守護者がその愛人を綱吉の目の前で殺したことすらある。彼女の血飛沫を浴びながら、ある意味自業自得なんじゃないかなとすら思った。 だが、雲雀だけはダメだった。雲雀だけは、幾ら傷つけられても何も痛いことはなかった。悲しみは覚えたが、それでも平気なのだ。きっと殺されても大丈夫なのではないかと思うぐらいに。しかし、それでも確かに打撲はするし、脱臼だってする。だから、守護者たちは綱吉が、ドン・ボンゴレが死ぬ前になんとしてでも手を打って、雲雀を止めなくてはいけないのは、綱吉だって理解していた。 「・・・・・それでも、ダメだ、よ。だって、守護者が仲たがいなんて・・・」 「・・・・・失礼しました。お怪我、早く治してくださいね」 獄寺は眉を寄せると、救急箱を脇に抱え、綱吉とリボーンに挨拶をすると、出ていった。 リボーンは獄寺が出て行くのと同時に、綱吉の膝の上に飛び乗った。まだ6歳ぐらいのリボーンは、綱吉の膝に乗せても痛くないぐらい軽い。帽子の鍔に乗っているレオンを手に乗せて、撫でながら綱吉の顔を見上げた。 「ダメツナ、獄寺はお前なんかよりよっぽど冷静みたいだぞ」 「・・・頼れる右腕、だね。やっぱり」 綱吉は、苦笑した。視線を戻して、レオンを愛銃の形に変化させる。玉はないから使えないが、もし詰めてあったら、綱吉の急所を外さずに撃つには、素人でも十分な距離だ。勿論、リボーンならば例え500m先でも急所を狙撃できるのだが。それほどまでに自分を信頼していて、敵ファミリーに暗殺を依頼されていたらどうすんだ、とリボーンは思ったが、帽子の鍔を下げるだけに止めた。今この場でそれを言うのは、精神が参っている綱吉には死刑宣告に等しいだろうから。 リボーンは、綱吉の頬をその小さな手で、2・3回ペチペチと叩く。綱吉はイエスの微笑みと称された微笑を浮かべて首を傾げた。 「あんまり、ヒバリに深入りすんじゃねーぞ」 瞬間、綱吉の笑みが強張るのをリボーンは見逃さなかった。直ぐに口角を下げ、綱吉は俯いた。綱吉の膝からまた飛び降りると、綱吉は手を祈るように組み、そこに顎を乗せる。リボーンはそんな綱吉の頭部を見つめた。 先祖返りでもしたのか、日本人にしては色素の薄い頭髪は、日に当り煌めいている。若さの象徴でもある髪の艶やかさが美しい。リボーンは目を細めて微動だにしないそれらを見ると、足音を立てずに部屋から出ていった。 1人きりになった部屋は、厳重に閉じられた窓からの音など届かず、届いたとしても獄寺が鬱憤を晴らすように放ったダイナマイトの爆音が、微かに聞き取れるだけだ。それ以外は全くもって無音。時計の秒針の音がしない時計では、時を進める秒針の音を聞くことも叶わない。耳の奥がキィンと痛む。 突然、綱吉は倒れるように椅子から腰を上げた。そのまま絨毯に突っ伏し、大きな声を上げた。その顔がある位置の絨毯を中心に、じわりじわりと赤が濃くなっていく。 「雲雀さん雲雀さん雲雀さん、 雲雀さっ・・・・・!!」 雲雀の名前を連呼すると、強く歯を食いしばった。歯が折れると錯覚しそうな程、ギリギリと強く。は、と口を開けると、飲み下すのを忘れた唾液が絨毯の上に垂れた。そのまま、光が入る出窓に顔を向けた。止まらない涙と嗚咽は、酷く苦しかった。 雲雀が任務を終わらせ、綱吉に報告に行こうとすると、獄寺がダイナマイトを放つ格好で雲雀の行く手を阻んだ。自分のここ最近の行動を考えれば、それは何ら可笑しいことはない。しかし、屋敷内での戦闘はタブーとなっている。ふ、と一つ息を吐いて雲雀はトンファーを取り出した。 「・・・・何?ケンカ?屋敷内でのドンパチは禁止でしょ?」 「ふん、とかなんとかぬかしつつ、お前だって武器を準備してんじゃねぇか」 「・・・・まったく、五月蝿い忠犬だね。僕は綱吉のところに行きたいんだ。邪魔だよ」 雲雀が肩をすくめると、獄寺はかぁっと頭に血を上らせ、尚眉間に皺を寄せた。「3倍ボム!!」と声を上げ、ダイナマイトを放とうとした時、騒ぎを聞きつけたのか、どこからかやって来た山本が、その身体を羽交い絞めにする。 「・・・・っんの、野球ヤロー!!放しやがれ!!」 「まー落ち着けって、獄寺。お前、それご法度だぜ。ツナが悲しむ」 山本が笑いながら宥める。獄寺は、綱吉の名前を聞くと大人しくなった。両腕をばたばたとさせなくなった獄寺を放すと、蒼燕流でだけ変化する竹刀を肩に担いだ。山本は、そのまま雲雀のほうに向き直る。 「なぁ、雲雀。ツナに攻撃しないでくれな」 「・・・・君に言われる筋合いはないよ。僕の勝手だ」 雲雀の言葉を聞くと、山本は口角を下げ、鋭い目で雲雀を見た。 「そーもいかねーよ。ツナはあんな可憐なナリで俺らの頭領だ。あれ以上エスカレートさせるわけにはいかねぇ」 雲雀は黙ってトンファーをしまい、山本と獄寺の脇を通り抜ける。すれ違うその刹那、山本は低く雲雀の耳元に呟いた。その言葉を聞いて、雲雀は目を見開き、急いた様子で振り返る。その向こうに見える山本は、いつものにこやかな笑みを浮かべていた。囁かれた言葉を反芻し、口を堅く結ぶ。 その仮説は幾らも考えた。その度に検定したが、しかしどう考えてもその名をつけるには余りに凶暴すぎるのだ、この感情は。肩に掛けただけのスーツの裾を揺らして、綱吉の部屋までの道を歩く。 今日は快晴で、不意にポツリと綱吉が零した言葉を思い出した。確か、綱吉が同盟ファミリーのとの会合に出向く車の中だったか。その時も、凶悪なまでに眩しい、快晴の日だった。 「こんな日は、外で思いっきり、走りたい、なぁ・・・・」 今も、あの日と同じように、窓から遠い空を眺めながらそう思っているのだろうか。雲雀は、只青いばかりの空を見上げた。 綱吉は中学・高校と逆に外で遊んだりしなかったものだが、マフィアという予定に縛り付けられ、解放される事のない血腥い職業では、逆にその自由さが羨ましいのだろう。雲雀だって、多少なりともこんな職業に就かなければ良かったと思っている。 綱吉の部屋の前に着き、ノックもせず扉を開ける。その向こうでは、リボーンが綱吉を殴っているところだった。思わず「赤ん坊」と雲雀は呼んだ。2人分の目がこちらに向けられる気配がする。その時に見えた綱吉の顔は、口が切れたのか僅かだが、血の赤で彩られていた。雲雀の中で血が騒ぐ。リボーンは雲雀に今気付いたとでも言うように、綱吉の襟を放し、雲雀の元に歩いてくる。綱吉は空咳を繰り返した。 「早かったなヒバリ。もう戻ったのか」 「赤ん坊、ちょっと」 赤ん坊といえないほど成長したリボーンを廊下に呼ぶ。リボーンは含み笑いをしながら廊下に出てきた。 「綱吉の血、出させないでよ」 「それはまた、手前勝手だな」 リボーンははんっと鼻で笑うと、雲雀は機嫌を悪くしたようで口角を下げた。素直な奴、とリボーンは呟く。 「綱吉の血が甘いなんて知ってるのは、僕だけで十分だ」 雲雀がトンファーに舌を滑らせながら言った。鉄臭い、といった雲雀を、奇っ怪な物を見るような顔でリボーンは見上げた。 「・・・・また、随分なことを言うな」 「だけど事実だ。僕は今まで何度も綱吉を攻撃して、その度に血を舐めたけど、綱吉の血はいつだって甘かった。麻薬のように、ある一種の花の様に、」 「・・・・・・それは、」 珍しくリボーンが驚いたような顔になった。雲雀はそんなリボーンに、眉を上げる。「そうか、自覚してないのか」とリボーンは呟くと、雲雀に言った。 「殺すなよ」 「当然」 それが至極当り前だとでも言うように雲雀は返した。それに満足そうに笑うと、リボーンは円らな瞳で雲雀を見上げ、ドアを開ける。 「ツナ、雲雀が戻ったぞ」 雲雀は、鈍色のトンファーを、手の中で光らせた。 |