人捜し
雨が、酷く降る放課後だった。 断続的に降り続く、雨の音は絶え間なく、俺は部室でパソコンを弄っていた。教室で、ハルヒに「ホームページの更新をしなさい!」と言われたからだ。珍しく、それほど珍しくもないか、ハルヒがいない部室では、ハルヒ除く全員揃っているものの、各々好きなことをしている。大して変わらない日常に違いなく、俺は何の不安もなかった。ハルヒがいないのだから、ある筈もない。 雨の音は、部室にいる俺の耳に不明瞭に届く。催眠術の一種のようなリズムに、俺の手は止まり止りだ。作業のスピードが遅くなる。しかしまぁ、特にすべきことがあるわけでもないから、別にいい。せいぜい、ハルヒの真似をして、ネットサーフィンをする。平和すぎるのも、ヒマだ。 「チェスでもしませんか、」 俺がよっぽど暇そうにしていたのか、古泉が声を掛けてきた。その手元は、ご丁寧に盤も指差している。ホームページは後でもいいしな。頷き、パソコンの電源を落としてから、俺は立ち上がった。それまでの間にやった、ホームページの変更は微々たるものでしかなかったが、一応保存を忘れなかった。いつもの定位置、古泉の向かいの席に座る。チェス盤の準備は、もうしてあった。 「黒、白、どちらです」 「お前が黒にしろ」 俺のほうに向けてあった黒を、古泉の方に向けてやるために盤を回す。ちら、と古泉の顔を見上げたら、苦笑していて、なんとなくざまぁみろという気分になった。ざまぁみろ。 古泉が先手で、チェスが始まった。古泉はマジカルな手を使うことなく、また突然強くなったりしたわけでもない。好きな割には弱い、いつもの古泉だ。俺は肩肘をつきながら、手を打った。あんまりつまらん。当たり前だろう、古泉は弱すぎる。ヒマつぶしにもならん。 「相変わらずお強いですねぇ」 お前が弱いだけだよ。もっと手ごたえのある相手はいないもんかね。 「難しいと思いますよ。なにせ、貴方は強いですから。弱い僕の相手をしているから、貴方自身、実力を測り違えているだけですよ。ヘタなプロよりお上手なんじゃないですか」 それは褒めすぎだと思うぞ。しかし、褒められて悪い気がするわけがなく、俺は少し緩む頬を引き締めた。ニヤニヤしているところを古泉に見られたくないし、まして、朝比奈さんや長門は当たり前だ。腑抜けた面を見せたくはない。例え、同姓だろうと異性だろうとな。 チェスはあっさりと、古泉の負け、という形で終わった。負けたら、そりゃまぁ悔しいだろうが、しかし、もっと力をつけて欲しいもんだ。その心の声が表情に出ていたのか、古泉は苦笑してチェスの駒を持ち上げた。 「努力はしているんですよ、これでも。しかし、才能がないのかなかなか上達しなくてね。困りものです」 「まぁ、早くもっとうまくなってくれ。俺の暇つぶしにもならん」 努力はしますよ、と言って古泉肩を竦めた。嫌になるほどサマになる。古泉は「もう一局しませんか」、盤の上に駒を並べ始めていた。しかし、もうやろうとは思わず、俺は黙って首を振った。俺の向かいで、両手が広げられ、肩辺りで止まった。古泉お得意の、あのポーズだ。一体、一日で何回やっているのか、好きな奴だ。 俺の気分はブルーを示している。外で降る雨の音を聞き、尚且つ霧で姿の見えない雨を見ていると、どうも鬱々とした気分になってしまう。俺が浅く溜息をつくと、それに呼応するように朝比奈さんが呟いた。 「それにしても、涼宮さん遅いですねぇ・・・・。一体何してるんだろう・・・・」 俺の記憶が確かならば、ハルヒは今日、教室に残らなければいけない用事はなかった筈だ。仮に、放課後の掃除当番だったり、校内不思議探索ツアーでも、こんなに遅くはならないんではなかろうか。 朝比奈さんは、その麗しいお顔を悲しそうにさせて、 「心配です・・・」 朝比奈さんと同感だ。変な胸騒ぎはしないが、ちょっと心配ではある。俺は勿体無くも、朝比奈さんのお茶を急いで味わってから、立ち上がった。朝比奈さんはキョトンとした顔で、古泉はいつものスマイルで、俺を見た。長門には何の不安もないのか、本を読み続けている。やっぱり、ハルヒに面倒ごとは起きていないらしい。落ち着いて、本を読んでいる宇宙人は、そういう意味では、俺の安寧を示していると言ってもいい。 だから、そう急く必要もなかったのだが、俺は湯のみを朝比奈さんに渡した。 「俺、ハルヒを捜してきますよ」 「え、キョン君一人でですか?あたしも、行きます」 「いいです、一人で行ってきます」 そうですか・・・、とシュンとする朝比奈さんは文句なしに可愛い。生きてて良かった、と楽天的な事を考えながら、部室のドアに手を掛けた。出て行こうとした俺の背を、古泉の声が追いかけてきた。 「待ってください」 ぱっ、と思わず振り返ると、古泉も朝比奈さんに湯のみを渡しているところで、俺はなんとなく楽しくない。古泉め、朝比奈さんのお茶を一気飲みにしたに違いない。ハルヒじゃあるまいし、ちゃんと味わって飲みやがれ。それを言うなら、俺もなのだが。 古泉は俺の隣に立つと、僕も行きますから、と言った。俺は緩やかに首を振ったが、古泉は行くつもりらしく、頑として行くと言う。仕方なく連れて行くことにして、朝比奈さんを振り返り、頭を下げた。悲しそうに笑いながら、小さく手を振ってくれる。 「この、馬鹿。朝比奈さんが可哀想じゃねぇか」 「どうしてです?」 俺が部室の外で声を潜めて脅すと、古泉は本気で分からないように首を捻った。小さく舌打ちをして、あのなぁ、と続ける。 「あれじゃ、俺が朝比奈さんを態と置いていったみたいじゃねぇかよ、アホ」 「ああ、それですか。しかし、僕も行かないわけにはいかなかったんですよ」 涼宮さんが怒ってたりしたら、どうします、と問いかけられ、俺は何にも返せなかった。確かに、神人を倒すのは俺ではなく飽くまでコイツら機関お抱えの超能力者で、俺はハルヒの機嫌をセーブするストッパーに過ぎない。それに、古泉よりハルヒの思うことが分かるとも思えない。それなら、古泉がいた方が、確実に良い。 古泉は意味深な笑みを漏らして、俺の一歩後ろに下がる。何でその位置にいくのか、俺は居心地が悪い。 雨の音は、俺の孤独感を苛んだ。一歩後ろに古泉がいるからか、周りに誰もいない錯覚に陥る。雨の音のような、断続的な音というのは、人の精神を不安定にするのだろう。もしかしたら、ハルヒは雨の日の、人の精神を調べに行ったのかもしれない。きっと、充分不思議というカテゴリに割り振られる結果が、出るだろう。 窓の外に目をやれば、ぼんやりと霞んだ風景が見えた。あの日、ハルヒに草を投げられた木も、どこか薄っすらと曇り、不安になった。何が、と形容できない不安に、俺は焦る。 思わず、口を開いてしまった。 「こ、いずみ」 我ながら、女々しい思考で、弱々しい声だ。自分でも、体が小さくなるのを感じた。何だ、何に不安を感じているんだ、俺は。俺が呼んだと言うのに、古泉は一歩後ろの位置を保つ。 「古泉、居るんだろ、」 「いますよ」 何故だか後ろを振り返りたくない。振り返れない。ああ、何でこんなに鬱々としてるんだ。頭を振ると、古泉が柔らかい笑い声を出し、俺は振り返った。いつもと変わらない、古泉の甘いマスクがある。 「どうしたんです、貴方らしくない。涼宮さんは大丈夫です、精神も安定しています」 「ち、がう、違うんだよ、そんなことじゃなくて、」 俺が立ち止まると、古泉も立ち止まった。霞がかかっている、気がする。雨の日の色、なんてのは曖昧で、古泉の薄い頭髪の色も掻き消えそうだった。俺が余程酷い顔をしたのか、古泉は慌てたように一歩近づいた。近づいて、俺と目線を合わせる。それだけで、ほっとした。 「・・・・本当に、どうしたんです?何がそんなに不安なんですか」 分かんねぇ、と零すと、古泉は片眉を吊り上げた。怪訝な顔をした古泉が、遠く感じ、俺は体を硬くする。なんで、なんでそんな顔をするんだ、なぁ。 ふと気付けば、古泉に抱きついていた。唇が戦慄き、俺は腕の力を強くする。 「すまん、古泉。お前が、」 「僕が?」 古泉の手が、俺の背に添えられ、瞬間背筋に何かが走った。古泉が絶対にいる、と名言することができる、何かだった。 消えそうだったんだ、と。口に出さず息だけを漏らすと、古泉は俺の手を掴んだ。ゆっくりと体が離され、その時初めて自分が泣いているのだと知る。無様で、古泉には見せたくない筈の、姿で、俺は羞恥で顔が熱くなるのを感じた。 「僕は消えませんよ。涼宮さんに消えろと願われれば消えるのかもしれませんが、でも今は、少なくとも」 指を絡めあう。二人の体温がそこから分かち合い、俺は安堵した。古泉が、いる。俺も生きてる。少なくとも、今この時間は。 今度は一歩下がる事をせず、古泉と並んで廊下を歩いた。指の形を確かめるように、指を動かす。ハルヒの姿を認めるまで、こうしていようと、俺は思った。 雨が未だ、降り続く。 |