病室から見た空は
骸が入院した。 担任にそう言われ、綱吉はまたか、と思った。そうなんですか、と特に心配した様子もなく返すと、担任の男は怪訝な顔をする。 「沢田、お前六道の幼馴染なんだろうが。心配じゃないのか」 「まぁ。いつものことなんで」 担任は眉を片方上げて、ため息をつく。そんなため息つかれてもなぁ、仕方ないじゃん。心の中で、綱吉もため息をついた。腕の中におさめられたノートに、目を落とす。 「最近の授業とったノートだ。プリントも挟まっている」 「届けろ、って事ですか」 綱吉の問いに、担任が首肯する。 確かに届ける役は、綱吉にしかできないかもしれない。骸は秀麗な少年だが、性格は非常に気難しく、一人を貫いていた。曰く、つるむ必要がないからだ、という事だが、綱吉はそんな幼馴染に憧れている。 仕方なく骸の見舞いを引き受け、綱吉は職員室を辞した。廊下に出た途端、冷気が這い上がってきて、綱吉は身を竦めた。 骸は先ほども言ったとおり、秀麗な少年である。美しく輝く眼は、鋭い光と静謐な知性に満ち、深い碧の髪は音もなく流れる。その姿は美少年、美青年というにふさわしく、骸を慕う女子生徒も少なくない。綱吉はそんな骸を鬱陶しくなど思わず、むしろ誇りに思っていた。骸が、昔からの幼馴染であった所為もあるし、綱吉には優しい所為もある。 「うう、寒・・・」 校舎の外は夕方だからか酷く冷え、綱吉はコートの襟を立てずにはいられなかった。いくら冬用の長いスラックスとはいえ、限度があるには違いないし、手だって疾うの昔に悴んでしまっている。両の手をすり合わせて息を吐きながら、骸の入院する病院へ急いだ。町を行く人々の歩みも、心なしか早い。 日が暮れるのは大分早くなり、綱吉が病院へ着く頃には、すっかり暗くなっていた。時刻六時を少し過ぎたほどである。八時半の面会終了時間まで、まだまだ時間があるのを見て、綱吉はほっとした。 中に入り、ナースステーションで骸の病室を聞くと、看護師がニッコリと笑う。 「六道さんの所にお見舞いは初めてね。お友達かしら」 「幼馴染です」 彼女は骸の病室を書いた紙を綱吉に渡しつつ、不満そうにため息をついた。 「ご両親も来られないから、心配だったのよ」 彼女は少し怒ったような顔をしたが、綱吉としては当たり前の感覚だ。いない両親に、骸がどうして見舞えというものだろう。骸の身の上を案じるような、その実勝手な事を、まだ話し足りない様子の看護師に、綱吉は部屋番号を尋ねて早々に逃げ出した。彼女は、骸の身辺をよく知らないに違いない。だから、心配だったんどと、自己満足なことを言うのだろう。 僅かに落ち込んだ足取りで、綱吉は骸の病室に向かう。とある病室の前で静止し、メモに書かれた部屋番号と、ナンバープレートを何度か見て、確かに骸の病室だと確信してドアをノックした。扉を通した不明瞭だが、しかしはっきりと聞き取れる骸の声が聞こえると、ドアをスライドさせる。 骸は、真っ白なベッドの上で、本を読んでいたようだった。掛け布団の上に、読みかけだと思われる本が伏せられている。それに眼をやりながら、久しぶり、と声をかけた。 「お久しぶりです。お元気でしたか」 「うん。風邪の一つもひかないで、元気にやってたよ。骸は、」 綱吉はそこで言葉を止め、部屋を見回し、また視線を骸に戻してから苦笑した。 「相変わらず、だね」 その言葉の意味するところを汲み取り、骸は両肩を上げる。病人だというのに、驚くほど様になっており、綱吉はまた苦笑した。 体が弱い骸は、小さい時から病弱で、気付くと入院している事も多々ある。その度に、幼馴染であり友人でもあった綱吉は、連絡役を仰せつかった。今回もそれである。だからと言って、綱吉は嫌がらず、むしろ喜んで引き受けた。骸に会う事が出来るのなら、それだけで喜ぶ単純な性格故である。 綱吉はカバンを床に下ろすと、ベッド下に収納してある、見舞い者用のイスを引き出した。遠めに見ても白い。そのイスを無言で払い、腰を下ろした。 「最近、学校はどうですか、」 イスに座るのと同時に、骸が尋ねてくる。カバンの中から、プリントやノートを出そうと探りながら、まぁ普通、と返した。 「それなりに楽しいよ。骸はどうなんだよ」 「僕ですか」 悩むように本を組み、情報へと視線を彷徨わせる骸を、綱吉は静かに見守る。いや、見守る、というよりは、眺めるに近い。落日に煌く髪や、静謐な光を宿す眼を、熱心に見る。骸は、その綱吉の行動を知ってか知らずか、とにかく何も言わない。綱吉の視線は遠慮がちであり、それでいて不躾なものだった。 やがて、骸の視線が綱吉へと戻ってくる。骸は近くにあった水で喉を潤してから、小さく笑った。 「まぁ、普通ですよ」 綱吉は訳が分からなかった様に、笑う骸を見ながらキョトンとしたが、すぐに先程の自分が言った物と同じだと分かると、クスクスと笑った。二人の控えめな笑い声が、やや広めの病室に響く。 ひとしきり笑い合った後、綱吉はそうだ、とノートとプリントを骸に渡した。 「担任から預かってきたんだった。これ、最近のプリントとか、授業をとったノートだって」 「・・・・・・めんどくさいですね、」 二つを受け取り、眉を顰める骸に、綱吉は苦笑せざるを得ない。確かに、頭が良く一人で先に進めてしまう骸にとって、逆に授業は邪魔なものでしかない。事実、教え方が下手な教師より、骸は余程うまく教えた。綱吉も何度も世話になっている。 細く、滑らかな指でノートを捲る骸に、 「そう言うなよ。一応心配してくれてるってことだし、とりあえず貰っておけば」 と笑った。骸もおとなしく首を縦に振る。 綱吉は面会の終了時刻までいるつもりらしく、用件は終わったというのに、立ち上がる気配は見られなかった。外は疾うに日が沈み、少々の星が瞬いている。 二人は、二人でいられる事が嬉しく思われ、始終にこやかだ。二人の学年が一つ違い、同じ学校といえど、話す機会がなかなか得られない所為もあるかもしれない。お互い、相手に話したい事が積もるほどあった。 「奈々さんはお元気ですか。最近、君の顔ばかりで、彼女の顔を見てないんですよ」 奈々は綱吉の母だ。非常に若々しく、若しくは童顔な女性であり、その母の血を受け継いだのか綱吉も童顔である。それはさておき、彼女は世話を焼く事が好きらしく、良く骸の面倒を見ていた。小さな子供だったにも関わらず大人びていた骸は、幼い時分から一人暮らし紛いの事をしていた。しかし、いくら大人びたと言えど、料理だけは全く駄目で、その世話を奈々がしていたのである。 親類でも何でもない骸に、世話を焼いてくれる奈々を骸は慕っていた。尊敬していた、と言った方が正しいだろうか。肉親の無い骸にとって、奈々は親でもあった。 「母さん?母さんなら元気だよ。また今日にでも骸の入院の事教えるつもりだからさ、近いうちに見舞いに来てくれるよ」 綱吉が元気すぎて困ってるよ、と苦笑すれば、骸も軽やかな笑い声を立てた。 「もし来てくださる時には、奈々さんのお弁当でも、と言っておいてください」 「言っとく」 綱吉が首肯するのを見届け、骸はふい、と視線を窓の外へやる。つられて、綱吉も見やれば、先程より僅かに増えた星が見える。都市に近いこの都市では、限界の量なのだろう。そのまま二人で眺めていたが、骸がカーテンを指差した。 「綱吉君、カーテンを引いてもらえますか」 特に反対する理由もなく、綱吉は立ち上がってカーテンを引く。骸もその様子を眼で追い、綱吉がしめ終わると小さく頭を下げた。 「今日は見舞いに来てもらって、ありがとうございました」 「あ、うん。え、気にしなくて良かったのに」 苦笑すると、朗らかな笑顔が返ってきた。その笑顔が好きだな、と綱吉は思う。綱吉や奈々のような、気を許した間柄でしか見られないその笑顔は、ある意味貴重な物だろう。写真に取って売れば、千円は下らないかもしれない。 純粋なのか不謹慎なのか、まるっきり分からないような事が頭に巡り、綱吉は恥ずかしくなって頬を押さえた。頬が火照っている。 「それでは、今日はこの辺にしておきましょうか。あんまり遅くなったら、奈々さんが心配すると思いますよ」 「そういえば、電話入れてなかった。早く帰らないとね」 火照った頬を隠すように下をむきつつ、コートを羽織って立ち上がった。いつだったか、何年か前の入学式に買ってもらった物だ。それから、通学カバンを手に取り、座っていたイスをベッドの下へと仕舞う。一連の動作を見守られているように思いながら、すっかり帰り支度を終えた綱吉はドアへと向かった。 不意に呼び止められ、綱吉は振り向いた。一瞬、骸の美しく煌いた髪が眼に入り、すぐに顔へと視線を移す。僅かに戸惑った様な顔で、その顔がきりり、とした表情になるのと、綱吉の足が完全に止まるのはほぼ同時だった。 「好きです、」 「、え、あの、」 綱吉の目と足がうろたえる。自分の顔が緩んでいくのを、骸は感じた。 「退院したら、改めて言いますから・・・・。今のは忘れて下さい。それでは」 戸惑う綱吉にそう声を掛けると、骸は横になった。そして黙す。綱吉はため息をつきながら、また来るね、とだけ声を掛けて退室した。骸の声は聞こえない。 病室の外に出ると、ドア一枚を隔てた中からは、何も聞こえなかった。その事に侘しさを覚えながら、綱吉は耳に指を滑らせた。暑い。 「あー恥ずかし・・・・・・」 その声を聞けば、骸は悠然と笑んだだろう。骸がいない事に安堵しつつも落胆し、綱吉は消毒液の匂いに満ちた病院を、後にした。 |