夢現 季節の変わり目には、風邪をひきやすいってのは本当だったんだな。 体が丈夫なのが取り柄な俺が風邪をひくんだから、もしかしたら日本の総人口の半分が風邪をひいてるのかもしれない。 こんな変なことを考えるのは、熱があるからかもな。 朝から頭が痛いと思っていたら、どうやら風邪だったようだ。熱が三八度五分もあり、そんな数字なんて何年ぶりに見ただろう。だから、俺の意識は朦朧としていて、取り留めのないことばかり考えている。 しかし、風邪ってのはこんなに辛いもんだったかね?頭は割れるように痛いし、体は自由が利かないし、鼻水も出てくる。ティッシュは手放せない。困るのは、妙に孤独感に苛まれることだ。何だか誰かに頼りたくて仕方ない。今だったら、妹にだって頼れるような気がする。 それにしても、とにかく暇だ。聞くものはないし、見るものもないし、読むものもない。いや、あったとしても何もしないがな。全部頭に来ちまう。そうすると必然的に寝るしかないわけで、その寝るという行為に飽きが来ていた。時刻はもう三時で、殆ど昨日の夜から寝ているから、かれこれ十時間程度寝ていることになる。途中朝飯を食ったりトイレに立ったりしたが、昼飯は食っていない。空腹感はないがな。今は何も口に入れたくない。 布団の中でゴロリと転がってみる。凝り固まった体が、ベキボキと音を立てながら伸びた。どうやら関節痛も症状に出ているらしく、肩やら足やらが痛い。 最初は部屋の中を見ていたが、そのうちまた眠たくなってきて、目を閉じた。どうやら、頭が睡眠を拒否しても、体はまだ寝たかったようだ。 ******* 「古泉君、今日はキョン休みよ」 今日の涼宮さんから僕への第一声だ。 僕は、いつものオセロゲームを広げようとしていたのだけれど、動きを止めた。そんなに僕が彼を気にしてるように見えるのか、とかなんで僕に言うのだろう、とかいろいろあったのだけど、僕は従順なイエスマンであり続けるから、そうなんですかとしか言えなかった。その後のだからという涼宮さんが言った接続詞も、黙って受け入れるしかない。 「お見舞いに行ってきてくれるかしら?」 彼女が彼のことを気にしているのは、この台詞から言外に知れた。僕は涼宮さんが行っても彼が怒るとは思わないのだけど、彼女は自分では行きたくないらしい。 「涼宮さんは行かないんですか?」 「いい、古泉君。団長はね、団員のとこに気軽に顔を出すべきではないの!」 彼女は笑っているけれど眉を怒らせるという、あの独特な表情で僕に言った。僕はまた、何ですかそれ、とか素直じゃないな、とか思ったのだけど、やっぱりはいとしか言えなかった。 今は部活の時間帯で、つまるところそれはSOS団の活動時間でもあったのだけれど、それを放って彼のところにお見舞いに行けと言うのだから、涼宮さんはよっぽど気に掛かっているらしい。しかし、僕も気に掛かるところではあったので、鞄を肩に掛けた。朝比奈さんが、いつものメイド姿で僕に駆け寄ってくる。僕からオセロゲームを受け取りながら、彼女は眉を下げた。 「キョン君、大丈夫なんでしょうか。お大事にって、伝えてください」 「分かりました。きっと彼も喜びますよ」 彼は朝比奈さんに弱いから、伝言を聞いた途端熱が下がって元気になったとしても、僕は驚かない気がする。朝比奈さんのためだったら、何でもするだろうというのが、彼への認識だ。ついでに、長門さんの伝言も聞いておこうと思い体を捻ると、顔を上げている彼女の姿が見えた。 「・・・・また明日、と」 「了解しました」 彼女が僕の考えを汲み取っていたことも、いまさら驚かない。如才ない笑みを浮かべて、長門さんを見る。 それにしても、何故僕なのだろう。彼は僕がお見舞いに行ったところで、元気にはならない気がする。涼宮さんが行ってもいいだろうし、朝比奈さんが行ったら彼は途端元気になるだろうし、長門さんが行ってもいいだろう。 「男同士積もる話もあるでしょ」 涼宮さんは、パソコンのディスプレイに目を向けたまま言った。 「それに、皆で行くと煩いだろうし、だからといって女一人、男一人でその上男の部屋っていうシチュエーションを作るわけにもいかないでしょ?」 至極まともな意見だと思う。だから涼宮さんは僕を抜擢したのか。 そういえば、涼宮さんから彼への伝言はないのだろうか。 「そうね。・・・・早く治して、学校に出てきなさい。じゃなきゃ死刑よっ!以上!!」 伝えておきますよ。 いつか閉鎖空間を見せた時に、彼の家の前まで行った。しかし、彼の家に入ったことはない。所詮SOS団という異色の団の、団員というだけしか接点がないから、仕方がない。 門扉を開け、インターホンを鳴らすと、中ではーいという声とパタパタという足音が聞こえた。すぐに玄関のドアが開く。顔を見せたのは、彼にどことなく似ている女性だった。きっと、母親だろう。その女性は、僕の制服を見た。 「えっと・・・あの子のお友達なのかしら?同じ学校の子?」 「あ、はい。お見舞いに来たんですけど、いますか?」 僅かに彼女は嬉しそうな顔をしてから、僕を中に入れてくれた。顔を階段の上へ向けて彼の名を何回か呼ぶが、返答はない。 「寝てるのかしら」 彼女は僕についてきてと言うと、階段を上り始めた。僕も慌てて追いかける。いつぞやに見た妹さんはいない。夕方と言われる時間帯だし、きっと友達と遊びにでも行っているのだろう。彼の母親は、階段を上りながら僕に話しかけてくる。適当な相槌を打ちながら、そうこうしていると彼の部屋の前まで来た。彼女が控えめにドアをノックするも、やはり返答はない。 「寝てるみたい。どうしましょうか」 「いいですよ、起きるまで待っておきます」 「ごめんなさいね。それじゃ、中に入って待ってていいわよ」 彼女はドアノブを回した。勝手に息子の部屋に友人を上げる親もどうかと思うが、それを甘受けする僕もどうかと思う。背後でパタンとドアの閉じる音がして、僕は彼の部屋の中に入っていた。 やや雑多な感じもするが、整頓はされている。男子高校生らしかぬ部屋といえばそうで、サッカー選手のポスターもなければ、野球選手のカレンダーもない。あまり、自己主張の強い部屋ではない。僕はそれに安心した。自己主張の強いものは、それだけで辟易してしまう。 僕はどうしようもなくて、部屋の中を見回すのも悪いと思い、彼に目を移した。ベッドで寝ている彼の枕元には、ペットボトルと体温計と、タオルが置いてある。 彼は静かに眠っていた。やや息が荒いが、それでも規則的に胸が上下している。 「・・・・大丈夫、ですか?」 彼に声を掛けてみると、僅かに身動ぎした。それから、ゆっくりと瞼が上がる。熱のせいか、視点が定まらない瞳が、僕を見た。そのまま、数秒間僕の顔を見続け、ゆっくりと起き上がりながら、擦れた声で、 「・・・古泉、か?」 「ええ、そうです。大丈夫ですか?大分キツそうですね」 なぜか動揺して僅かに声が裏返った。わけが分からない、なぜ動揺したのだろう。しかし、彼はそこまで頭が回らない様子で、頭に手を当てている。その様子から、頭痛がするのだろうと見当がついた。 「古泉、ペットボトル取ってもらえるか。手を上げるのもダルい」 不意に声が掛けられ、条件反射ではいと答えながら、ペットボトルを取り上げた。そして彼に渡す。彼はサンキュと呟くと、キャップを回した。すぐ近くにコップもあったのだが、それを取るのも面倒なようでそのまま口を付けた。彼の一挙手一投足を見守るのも我ながらどうかと思うのだが、何もやることがないのだから仕方ない。いつもの彼なら、勝手に部屋に入ってくんなだとか、何見てんだよどっか行けだとか言ってもおかしくない気がするのだが、そんな突っ込みすらない。余程朦朧としているらしい。 彼の喉が上下し、唇からペットボトルが離れる。それでも喉の渇きは癒えないらしく、再度口を付けた。少しだけ飲むともう止め、キャップを回した。そのペットボトルを僕に押し付けて、彼は布団の中へと潜り込む。それから一回僕から逃げるように向こうを向いたが、またすぐに僕を見た。ややとろんとした瞳が、物言いたげに揺れている。 「すまん、もう一回ペットボトル取ってくれ。薬も置いてあるだろ、それも」 薬を渡す際に袋を盗み見たのだが、どうやら一定時間で服用するもののようだ。彼は体を起こすというその動作すら嫌なようで、横になったまま水を飲もうとしている。しかしそれはうまくいかず、口の横を伝っていくばかりだ。 ふと僕は、僕が彼に飲ませればいいのではないかと思った。 「失礼しますよ」 そう言って、ペットボトルと錠剤を取り上げた僕を、彼は胡散臭げに見上げてくる。僕は、彼より素早い動作でキャップを外し水を口へ含むと、手に持った錠剤を彼の口に捻じ込ませた。 「お前、」 僅かに狼狽したような声が聞こえたが、僕は構わず彼と唇を合わせる。開口を促すように彼の唇を舐めると、ゆっくりと口が開き、そのまま彼の口へと水が流れ込む。僕が水を与えるために倒した上半身を戻すのと、彼の喉元を水が通り過ぎるのはほぼ同時だった。彼の口元に残った水滴を拭うと、迷惑そうな顔をした。今更、遅い表情だ。 「風邪がうつっても知らんぞ」 「そこですか」 苦笑すると、他に何も言えんだろうがと彼は言う。もっと拒絶の言葉を浴びせられるのを覚悟していただけに、正直気が抜ける。 それから僕はと言えば、もう一錠飲ませるために、彼の唇を指でそっ、と、なぞった。 |