君と僕とたくさんの思い出



カナカナゼミの声が、開け放した窓から聞こえてくる。

タオルケットに包まって眠っていた綱吉は、風に揺れるカーテンが頬を撫でていく感触で目を覚ました。
見れば、既に空は赤く、時計の短針は綱吉の記憶より2つも遅い数字を指していて。

「うわ、2時間も寝てたのか・・・」

30分寝るつもりだったのに。
ぼんやりとする思考のままそう呟いて、ゆっくりと気だるい体を起こす。

夕日の差し込む部屋は、暖かくも寂しげなオレンジ色に彩られ、見慣れぬ他人の部屋のよう。

上体を起こした綱吉の首筋を、寝汗が一筋伝い落ちていった。
それを知覚して、自分が結構な量の汗をかいていることを認識する。

「・・・気持ち悪・・・」

綱吉は、誰にともなくそう言って、もそもそと緩慢な動きでベッドから立ち上がった。
寝すぎたせいか、思考に霞がかかったかのようである。
―――今年で5歳になる家庭教師に言わせれば、てめーはいつもそうだ、らしいけれど。
とりあえず、今の自分の思考が使い物にならないと言うことだけを確認して、綱吉はシャワーを浴びるために部屋を出た。

とん、とん、とゆっくり階段を下りていけば、居間のすりガラスのはまった扉から薄暗い廊下へと光が漏れている。
扉の向こう側から、ランボの騒ぐ声と、イーピンの嫌そうな声が聞こえてきて、思わずクスリと微笑んだ。
騒がしい居間へは行かず、綱吉はそのまま脱衣所へと向かい、汗で湿ったシャツや短パンを洗濯カゴに放り込んで風呂場の扉を開けた。


夕暮れの時間に入る風呂は、なんだか不思議な感覚を呼び覚ます。
寂しいような、居心地のいいような、なんとも表現しづらい複雑な感覚を。

まだ少しだけ明るい風呂場の窓の外の景色。
綱吉はそれを見て、小学校の運動会の後を思い出した。

運動会が終わって、駆けっこで必ずこけていた綱吉は、いつも人一倍泥だらけだったから、奈々は息子が帰ってきた瞬間お風呂に直行させていた。
その時に見た窓の外の景色も、暗くも明るくもない色をしていた気がする。

「・・・懐かしいな」

その言葉は、小さく呟いたつもりだったが、存外風呂場に大きく響いた。

「何がだ?」
「・・・は?・・・り、リボーン!?おま、なななななに普通に風呂に!?俺が入ってるんですけど!!!!!」

返事があるはずもない空間に響いた明確な応えに、肩まで湯船に使っていた綱吉は不意を突かれて立ち上がった。
が、しかし、今年で5歳になる家庭教師が目の前にいることに気がついて、慌てて湯船に身を隠す。
そんな教え子の行動を鼻で笑って、リボーンは肩をすくめた。

「今更恥らうんじゃねーぞダメツナ。そんなお粗末な・・・」
「だー!うるさいな!!人様のを粗末とかいうな!!ってか風呂場で服着てるお前は何してんだよ!!!堂々と覗きが許されるのはのび太くんだけなんだぞ!!?」
「昼間から風呂に入ってるしずかちゃんもしずかちゃんだがな」
「確かになー昼間から風呂ってどんな優雅な小学生だよ・・・じゃなくて!覗くな入るなとりあえず出てけー!!」

綱吉の悲鳴に近い嘆願は、子どもらしくないニヒルな笑みで片付けられ、リボーンは綱吉の台詞の要らないところだけを拾う。

「じゃぁ服を脱いでくりゃーいーんだな?」
「そりゃ風呂に入るのに着衣のままはあり得ないだろ。着衣水泳じゃないんだからって・・・はぁ・・・俺が言いたいのはそんなことじゃないのに・・・」

教え子の嘆きなど意にも介さず、リボーンは登場と同様に全く気配をさせずに姿を消して、再び音もなく現れた。
―――今度は服を脱いだ状態で。
真っ白な肌に、子ども特有のまっすぐな四肢が妙に艶かしくて、綱吉は視線をあらぬ方向へ飛ばす。

相手はリボーンだ、ツッコミどころが満載で最早どこからツッコんだらいいのかさっぱり分からなくても、気にしてはいけない。
自分にそう何度も言い聞かせながら、シャワーを浴びたリボーンのために体をずらして湯船にスペースを開けてやった。

が。

「うおぉい!」

綱吉は、思わずどこかの銀色ロンゲと同じような声でツッコミを入れてしまった。
せっかくスペースを開けたと言うのに、リボーンは綱吉の横ではなく、綱吉の胡坐をかいた膝の上にちょこんと座ってきたのである。
そう、とても可愛らしく、ちょこんと。

そんな状況にツッコミを入れずして何が天性のツッコミストか。

意味不明な使命感にかられながら、目の前の絶世の美少年に育ちつつある家庭教師を見た。

「リボーンさん、明らかに座る場所をお間違えデスガ」
「俺は俺が座りたいところに座るんだぞ」
「えーっと・・・俺の人権を無視しないでクダサイ、センセイ」

温めに設定されたお湯の中だからまだましだが、これが冷房のきかない綱吉の部屋での出来事だったら、綱吉は家庭教師サマの暴力への恐れよりも暑さに耐え切れなくて振り落としていたことだろう。
そういう意味では風呂でよかったと、言おうと思えば言えなくもないような気がしないでもないがそもそも論点がずれている。

「リボーン、スキンシップは子どもの教育上重要だとは思うんだけど、俺としては、やるならせめて冷房のガンガンに効いたフローリングの上でふわっふわなタオルケットに包まれながら・・・」
「お前はどこの柔軟剤会社の回し者だ」
「俺、レ〇ア派」
「あーそーかよ」
「・・・さっきから完全に話が逸れてるけど・・・まぁいいか」

もともと諦めのよい綱吉は、早々に5歳児を膝からおろすことを諦めて、好きにさせることにした。
その体勢のまま取り留めのない話をしていると、不意にリボーンがアヒルさん(ランボのお気に入りだ)をお湯に沈める手を止めて綱吉のほうへ顔を向ける。

「そういえば、何が懐かしかったんだ?」
「へ・・・?あぁ、さっきの独り言か。うん、なんか、夕方に入るお風呂って、運動会の終わった後を思い出すよなぁって思って」
「ふぅん、そーなのか」

そう呟くと、無関心と言うよりは少し不思議そうな様子で、再びリボーンはアヒルさんをお湯に沈め始めた。

リボーンが懐かしいと思うことはあるのだろうか。
ふと、まだ幼い丸みのある顎のラインを見ながら、綱吉はそんなことを思った。
自分が5歳の頃なんて、自我があったような無かったような、という曖昧な記憶しかない。
それはつまり、その頃の綱吉がただ一生懸命生きていただけで、それを懐かしく思い返すような思考の発達までは達していなかったと言うこと。

けれど、アルコバレーノは、リボーンは違う。

少なくとも、知識の面では綱吉の遥か上をいっていた。
―――だからきっと、昔を懐かしむこともあるはずだと思うのだけど。

其処まで考えたところで、綱吉は懐かしむための前提条件に思い当たってはっとした。

懐かしむのは、何?
人が懐かしむのは、思い出。


懐かしめるほど、心に残るような思い出を、呪われた子供と畏怖される虹の子供が、一体どれだけ持っていると言うのだろう。


「―――リボーン、明日海に行こう」
「は?」
「そんで、来週の土曜日は、山本とか獄寺くんとかできればコロネロとかも誘って―――」
「どういう風の吹き回しだ?」

珍しく困惑した様子で顰められた綺麗なかんばせに、綱吉は最高に緩んだ笑顔を向けてあっさりと答えた。

「ん、俺がもっとリボーンと遊びたいから」
「―――そーかよ」
「そいで、リボーンの思い出の中に、俺がたくさんいたら、俺は個人的にとっても嬉しい」
「―――・・・恥ずかしいヤツだな」

教え子の、これまた珍しい直球な物言いに多少戸惑いながら、リボーンはふいっと顔を背ける。
綱吉は綱吉でそんな可愛らしい反応に、頬をさらに緩めた。

「いーじゃん、家族だろ。もっと、たくさん、色んなことしよう」
「修行もな、ネッチョリした修行もな」
「に、二回も言った・・・!」

ニヤリと笑う家庭教師に、お湯のせいで赤かった綱吉の顔が瞬時に青褪めた。
けれど、すぐに苦笑してうなずいた。

「ま、お前となら、いいんだけどね、何でも」

お前の思い出に、俺がなれるのなら、何だって良いよ、先生。





「ダメツナのクセによけーな気を遣いやがって」

その夜。
子供用のベッド(奈々が買ってくれた)に横になったリボーンは、隣のベッドから聞こえる綱吉の寝息を聞きながらそう呟いた。

確かに、マフィアの申し子である“アルコバレーノ”に、懐かしめるような思い出があるのかは疑わしい。
けれど。

少なくともリボーンには、思い出と呼べるものが確かにあった。
それは、例えば今日のように綱吉と一緒に風呂に入ったことだとか、寒い冬の日に奈々やビアンキやランボたちとコタツを囲んでカードゲームをしたことだとか、その後綱吉と一緒の布団で寝たことだとか、そんな日常の些細な出来事で。

綱吉が思うよりもずっと、リボーンには思い出があって、きっと、綱吉が思うよりもずっと、その思い出の中に綱吉は含まれていた。
そしてその思い出には、ヒットマンには不必要な幸せとか優しさとか、そういったものが眩暈がするほどに詰め込まれている、気がする。
ただ、懐かしむほど、その思い出を遠いものに感じていない。

「まーほとんど生まれたときから一緒だからな」

そう言って、リボーンはまぶたを閉じる。
今日は今日の、明日は明日の出来事が、自分にとって不釣合いなほどに幸せな思い出になることを自覚しているからか、その呟きはどこか幸せそうなもの。

「ダメツナめ」

いつかお前との思い出で、記憶が飽和状態になったらどうしてくれる。

そんな、普段なら絶対に思わないであろう平和なことを思いながら、世界最強のヒットマンはゆっくりと思考を眠りへと落としていった。




ひとつ言っておきます。

あなたは僕のためを思って色々と考えてくださっていますが。

あなたが僕の傍で笑ってくれることこそが、何よりも僕のためになるのですよ。

だって、あなたとの思い出以上に、僕を幸せにするものがこの世に存在するとでも?


Fin.

くしの実様、きなこ様、あんみつこ様、相互、ありがとうございました!
稚拙ながら、御礼のssなどをお送りさせていただきます・・・!!
煮て焼いてあぶっても、どうにもなりそうにないものではありますが、お納めいただければ幸いです。











ああああああ、SomeDay,SomeWhereの嘉月様から、こんな素敵な頂き物を!!
もう綱吉もリボーンもああ、なんていうか、素敵すぎて・・・・。
言葉にできません。したらうそになっちゃうだろうし。
とっ、兎にも角にも、こんな素敵なノベル(早速ssの域を超えてらっしゃいます!)を、ありがとうございました!!!