クックコック



 派手な音を立てて、純白の皿は真っ二つに割れた。それは、皿洗いの綱吉の手から滑り落ちたもので、当の本人は、泡だらけの手で空を掴んだ後、呆然としている。まさか割ってしまった、とでも言いたげに。
 綱吉は最近この料理店、Cookコックに入ったばかりで、まだまだ新人中の新人だ。皆、綱吉の事をよく知らないし、綱吉自身もあまり他の従業員と面識もない。こんな新人を急に連れてきたのは、オーナーだった。
「おい、割れた皿を処理しろ」
 近くのメイドに言うと、囁かれた女性は慌てて綱吉の許へ駆け寄り、大きな破片から順に袋に入れると、即刻綱吉の許を離れた。黒いスカートの裾が、ひらりと揺れる。
 綱吉の視界に入ったのは、それだけだった。
 靴音を響かせて、オーナーこと、リボーンは綱吉に近づいた。二人の目が合うことはない。
 滑らかな黒い革靴とは対照的に、コックエプロンには染み一つなく、美しく白い。赤いネクタイはゆがみなど微塵もなく、それだけで几帳面さがうかがえる身なりをしている。だが、服が白ければ性格も白、というわけではない。リボーンは相当きつい顔で、表情も乏しい。鋭く、射殺すような眼光、整った形の良い鼻、薄いピンクの唇。美形ではあるが、傍から見れば極悪人。よく見てもヤンキーというところだろう。白いコックエプロンをつけたのを見て笑った従業員が、次の日青痣を作って退職したのを見ると、喧嘩も相当強いと思われる。
 綱吉は、その時初めてリボーンの目を見た。黒い瞳の奥で、何かが小さく動く。リボーンは綱吉の前で停止しており、動く気配を見せない。
「・・・すいません、でした」
 コック帽が床に音もなく落ちるが、拾わず綱吉は頭を下げ続けた。止まっていた時間が動き出すように、リボーンの動きも早かった。それは遅れを取り戻すように、早くて。綱吉が頭を上げると同時に、リボーンは綱吉の頬を思いっきり叩いた。綱吉の口から短く悲鳴がもれて、床へと這い蹲る形になった。叩かれた頬はうっすらと赤くなっている。パンパンと手を叩きながら、リボーンは吐き捨てた。
「コック帽を落とすのは、客への無礼と一緒だ」
 そう言って、綱吉のコック帽を拾うと、綱吉へ投げ渡した。少し皺が出来ているが、綱吉はもう一度謝って、深く被りなおした。綱吉は嬉しかった。追い出されると思っていた場所に、まだ居ることが出来る。とても嬉しかった。リボーンに力なく微笑んで、綱吉はもう一度スポンジを手に取った。皿洗い続行だ、と思ったのだろうが、そんなこと鬼のオーナーが許すわけがない。ましてや、一度皿を割った奴に、高級食器など。
「てめぇ、調子のんな」
「え、何ですか、オーナー」
「おい待て、その皿は俺の一番のお気に、」
 デジュヴとでも言うのだろうか。純白のシチュー皿が、美しい弧を描きながら床へと向かう。スローのように映るが、落下速度は相当速い。飛び散るように、白い陶器が弾けた。
 綱吉は微笑んだ後、逃げた。



「もっと力強くやれ、コラ!」
 綱吉が従業員になって、一週間が過ぎた。あの後、二枚の皿を割り、エスケープを図った綱吉だったが、鬼のヤンキーオーナーから逃げられるわけもなく、口の横を切って厨房へ帰ってきた。彼曰く、撒いてきたらしい。そんな事件から一週間経ち、綱吉は皿洗いからホールの掃除へとランクアップした。調理への道には程遠いが、少しだけ近づいた気がする。
 しかし、掃除とはいえそんなに甘くなかった。掃除の指導者は前までランチアが行っていたが、今現在の担当は悪魔の副オーナー・コロネロだ。副オーナーだが、調理には一切関わらず、主に事務の方へついている。なので、服装も、少しリボーンと違う。白のシャツ、黒のスラックスに、バンダナという格好だが、一応調理免許は持っているらしい。だが、その調理姿を拝んだものはいない。
 それに比べて、リボーンは調理の最高責任者として、材料の点検、仕上げの点検、そして自ら調理もする。なので、服装はいつもコックエプロンに、コック帽だ。調理の手際は鮮やかで、仕上がりのよい物を作ることで有名だ。それ故、注文も多くくるが、Cookコックでは、注文は承っていない。それは、リボーンの決めたことだった。
 話は戻るが、コロネロが掃除担当となると、日頃の鬱憤を晴らすためなのか、完璧指導をされる。雑巾の掛け方、箒の掃き方、いちいち細かいところまで指導する。いつだか、雑用が「姑」と言ったところ、2・3mほど吹き飛ばされたらしい。
 そして、綱吉は今、コロネロに指導されている。雑巾を持って、床の目に沿いながら拭いていると、いきなりの登場だった。呆然と見上げる綱吉を尻目に、拳を握っての指導とくれば、一日目の皿を割ったトラウマがよみがえってきて、掃除どころではない。トラウマの所為で、逃げることも出来ず、床だけを1時間以上拭いている。
「あの、コロネロ副オーナー・・・・。俺、もう手が、」
「なんだとコラ!」
「や、赤・・・い、ん・・・です、が・・・」
 コロネロの迫力に及び腰になりつつも、小さい声で綱吉は訴えた。鬼副オーナーが、聞いている筈もないが。
 しかし、突然厨房から大きな音がした。綱吉とコロネロは同時にそちらを見ると、同時に走り出した。駆け込むと、そこには皿の破片と、なんとか原型をとどめた皿が、床に散乱している。その中央に、トンファーを構えた雲雀恭弥と、アップルパイを構えた六道骸が睨み合っていた。
「何やってんだ、コラ!!」
 コロネロが怒鳴ると、雲雀はジロリとコロネロを睨んだ。殺気が身体から溢れている。綱吉はアップルパイを見つめていた。光沢のある表面には、しっかりと卵も塗ってあり、綺麗に焼けている。中のリンゴはハチミツ色で、香りもとてもよい。このパイは相当の出来だろう。綱吉は二人の間へ入った。雲雀とも骸とも話した事のない綱吉が出て行き、雑用仲間などは慌てて止めるが、大丈夫と言うので止められない。
「・・・、何、君」
 雲雀がトンファーを真っ直ぐ綱吉に向ける。少し片を強張らせながら、綱吉は進んだ。トンファーを手で掴もうとすると、雲雀は後ろへ下がった。
「噛み殺すよ」
「喧嘩とか、ダメです。せっかくパティシエをしているのに手を傷つけたら、いけません」
 何でそれを、と雲雀が片眉を動かすと、綱吉と雲雀の間にコロネロが入った。
「そうだコラ。いい加減にしろ」
 鋭い目つきで雲雀を睨み、骸のほうへ歩み寄る。骸はパイを辛うじて残っている机へおくと、綱吉のほうへと進んだ。コロネロは綱吉を庇うように、前へ立つ。
「パイナップル、机と皿とキッチン、全額払えよコラ」
 綱吉は部屋を見回して青ざめた。粉々の机、皿。ヒビの入ったキッチン。二人でここまで厨房を破壊した挙句、全額弁償。なんてことだ。今度、厨房でケーキを焼くつもりだったのに、パーだ。つなよしはがっくりと肩を落とした。
「おら、掃除戻れダメツナ」
「なっ、ダメツナって何ですか!!」
 歩きながら反論する。綱吉の目の前では、骸が雑巾がけをしていた。そのはるか遠くで雲雀が箒で掃いている。パティシエとウェイターはホールの端から端くらい離れて、作業をしていた。コロネロの命令である。
 骸に、キッチンを壊した奴が、キッチンを使うな、と一週間の掃除を命令した。しぶしぶ骸は頷き、ホールへ出て行った。そして、このザマだ。仮にも同じ職場の仲間なのに、随分仲が悪い。
「あ、綱吉君ですよね」
 突然、綱吉の目の前に雑巾を持った骸が現われた。コロネロは先程帰ったばかりで、綱吉は一人だった。ニコニコと笑いながら骸は綱吉に謝った。
「さっきは見苦しいところを見せて、すいません」
「や、別に、ていうか頭上げてください、骸さん!」
 バッと骸の頭が上がって、綱吉を抱きしめた。突然の行動に、綱吉は顔を真っ赤にする。同性とはいえ、長い睫、二重の瞼、高い鼻、少し厚みのある唇、こんな美形に抱きしめられると、ドキドキするものだ。
 慌てて離れようとする綱吉を押さえて、骸は何事か呟いた。
「ケリーダ・・・」
「え、何て・・・」
 言いかけたところに箒が飛んできて、骸は瞬時に身体を離した。遠くで赤いオーラを振り撒いて、雲雀がトンファーを構えている。歩み寄ってくる雲雀に怯えて、綱吉は一歩、二歩と下がった。急に雲雀のスピードが速くなり、大きな金属音が響く。骸は、フォークで雲雀のトンファーを止めた。お互い微動だにせず、睨み合って直ぐに離れた。そして雲雀は、一人でポツンと立っていた綱吉を、自分の腕の仲へすっぽりと包む。骸のオーラが明らかにどす黒くなった。
「やべぇなコラ・・・」
 そんな三人をモニターで見ながら、コロネロは立ち上がった。このままではホールまで壊されてしまう。





     




07 05 18 きなこ